「私、今、ピアスタッフとして働いていますけれども、誰一人欠けても今の私はここに存在していないというの(思い)があって。やはりそれは人とのつながりだったり、ご縁だったりします。本当にきつい時はやはりあります。私もずっと布団から出られない時期もあって、引きこもりもあったし、リストカットをするような時もあったのですが、生きてさえいれば、絶対、必ずチャンスが巡ってきます。
特に、歳を取ると楽しいですよ。もう死んでしまいたいと思うこともあって、若い頃は失恋したりとても辛かったけれども、40代・50代になっていったら、本当に落ち着きますからね、病状もですね。
だから、絶望の淵にいる人も、希望を忘れないでほしいと思います。で、必ず誰かがそばにいて、必ず助けてくれる人がいるので、誰か一人にちょっと『助けて』と言ってほしいなあと思います。」
「年代的にも、私、47(歳)なので、うちの母ももう81(歳)なのですけれども、同じような境遇の方もいらっしゃって、親がいなくなれば、自分がやはり生活をしていかないといけない。その部分でとてもやはり落ち込んだり……。
会話ですよね、やはり。何も話さないと声も出なくなってしまいますし。だからそういう意味では、どこでもいいのですけど、自分の居場所を1つじゃなくて2つぐらい持つ。話せるところ。話せなかったら、いるだけでもいいよというような場所が必ずあるので、諦めないでいてほしいなあと思います。
生前、父がA病院の家族会に参加して、行ってくれていたので、親御さん同士の話はやはりあったと思うのですけれども。やはり孤立しやすいのですよね。家族もそうです。家族も言えないのですよ。うちの息子が、とかうちの娘がと、なかなか言えないのですよね。だからそこら辺を言ったほうがいいのか、言わないのがいいのか、またそこの問題もあるのですけれども。もうそれは病気だからとか、統合失調症だからとかではなくて、一人の人としてどう生きていくかというのは、もう本当に自分で決めたり、近しい人だったりというのが現状なのかなとは思います。」
「そうですね、元気で長生きしてくれるように、お互いができる範囲で、平日は母がしてくれたら週末は私がするとか。お互い風邪を引いたりもしますし、母が骨折で入院したこともありますし。女同士だから、なんとかやっていけるけど、この先がちょっと心配だなというのはあります。」
「さっきも申しましたけれども、私の通っているA病院は、300床ぐらいベッドがあって、まだ入院されている方もたくさんいらっしゃるのですよね。なので、やはり地元に戻ってきてほしい。
で、病院は病院できちんと存続していただかないといけないので、そこを、今一所懸命みんなで考えているのですよね。病院から通ってみるとか、病院を一部グループホームみたいにするとか、いろいろ意見は出ているのですけれども、なかなか具体的には、すぐにはならないから。
私達もいろいろ『ああしたほうがいい、こうしたほうがいい』と相談しながら、話し合いながら毎日、生きているという感じです。医療者もやはり…、人だと思います。ドクターだったりナースだったりというよりは、人と関わることで自分が元気になる、そういうことなのかなあと思っています。」
「(施設の)所長から、『どうぞ、出てください』と言われて、『はい』と言って、なんか考える間もなく、いいのかな?いいのかな?と思いながら。でもやはりご縁があって、こうして来てくださるのだから、私のお話をさせていただいて、ちょっとでも辛い時のこととか、いろいろなことを思い出すかもしれないけれども、必ず本当に生きてさえいればなんとかなるから、頑張って生きてほしいなぁと思います。」
「それは運命なのかなと。病気になったのも、私がこうやって生きて、47年間生きている。途中で何回も死にたいとか消えたいとか、本当に周りを困らせて、『そんなことをなんで言うと?』と言われるのですが、でも、やはりそこから這い上がってというか(それ)があるから、今の私がいるし、こういうご縁もあるし、話をさせていただくこともできるし……。
で、本当にそうですね、歳を取ってなんか嫌だなと、若い子はやはりきれいでいいなぁとか思いますけど、私にも必ずつながっているパートナーがいる、そのためにはどうしたらいいのかなあと思っています。やはり仕事を頑張ったり大切な人のことは大事にするとか、そうしていたら、自分にも必ずパートナーが現れてくれるかなあと思っています。」