統合失調症と向き合う

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笠原 健さん
笠原 健さん
(かさはら けん)
1977年(昭和52年)生まれの38歳(収録時)。26歳、精神科病院で作業療法士として働いていた時に症状が出現。その後、病院を退職し、現在は、入院している患者さんの退院準備プログラムの手伝いや精神疾患の啓発などピアサポーター活動を行い、アーティストとして絵や詩も書いている。
「詩人artistけんぼーの世界」はこちらからご覧ください→https://kenbo1219.jimdo.com/
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9ピア活動について
Q.ピア活動をするようになったのはどれぐらい前からですか

「人とのコミュニケーションは、やはり地域活動支援センターに行き始めてからは、取れるようにはなっていたとは思うのですね。

体調は、……どうなのでしょうね。4年(地域活動支援)センターに通っていたのですけど、メンバーとして。その間も、知っているメンバーさんでかわいがってくださったメンバーさんなのですが、亡くなられたのですけど。その方の家に行った時に、僕はテレビを見ていたのですね。で、その方が僕に言った言葉が、自分では遺言として残しているのですけど、『けんちゃん、中身生きとんか?』と言われたのですよ。すごく深い言葉で……。表面的に生きているけど中身が死んでいる人というのは、わんさかいる世の中なのかなというのを、今は思うのですけど……。

だから僕は中身、その時はまだ死んでいたのかなと……。だから4年通っている中で、メンバーさんの中にも浸透していたというか、僕はもともと精神科で働いていたということと、同じような病気の体験をして、入退院を繰り返してきたということで、やはり『専門職だから、専門の精神疾患の勉強をしました。はい、あなたの気持ちは分かります』は確実にならなくて……。だけど『同じ体験をしました、あなたの気持ち分かります』も軽々しく言えるものでもないとは思うのですけど……、同じような幻聴体験をしたとか、幻覚を見たとか、そういう病的体験をした、同じ精神疾患を持っている同士のほうが寄り添えるというか。

そういった中で、(地域活動支援)センターに行っても、メンバーさんが、『あれ悩んでいます、センターのスタッフに相談してもしょうがないだろ』という気持ちが、やはり出てくるのかなといったところで、それだったら、『もともと精神科で働いていたこともあって、病的体験もしている、なら、ちょっと相談してみようかな』ということが、行けば相談、行けば相談と。メンバーとしてセンターに通っていたけども、なんとなく働きに行っている感覚にさえなっていって。それで僕も、このメンバーさんの悩みは僕で解決というか、いい方向性にもって行けるかなとか、このケースはちょっとスタッフにも共有しないとなとか、(そう)なってきた時にしんどくなってきて……。

幻聴でも、『行くな、行くな』と言うのです。『センターに行ってもしんどいだけだろ?』と言うのですけど、その幻聴を遮って行っていたのですよ。だけどそれは、心の声だったとは思うのですね、振り返れば。ほんとにしんどかったというか、それに素直になっていれば良かったというか。だけど主治医にはそれを話せて……。

その主治医が、絵とかも認めてくださった先生ですけど。主治医が、(地域活動支援)センターにも動いてくださって、『このままいくと、入院が目に見えていますから、笠原君に対する配慮を考えてください』ということを言ってもらえて。配慮というか、僕は、流れの中で自然にそうなってしまったから、スタッフのせいでもないと思うのですけど。だけどスタッフはスタッフで、それはそれで見て見ぬ振りというかそのままの流れできていたということもあって……。だけどスタッフさんはすごくいろいろ考えてくださって、そこで初めて、ピアサポーターというのがあるから、そういうような位置で体験を活かしてだとか、そういう働きかけ方とかがあるということに導いてくれたというか。

ピアサポーターとして、(地域活動支援センターで)非常勤職員として、その時は雇ってもらっていたのです。」

Q.体験を語る活動をするようになったきっかけは?

「それは、啓発活動が、そこ(他の地域活動支援センター)にもともとあった事業が、体験談を語る『語り部の会』というものを昔からやっていらして。で、僕が話をする機会として、その体験を語るのは、ピアサポーターをし始めた時に、病棟に出向いて、長期入院の方向けに話をするとかということは、(地域活動支援センターで)だんだんできてきたのですけど、精神疾患の理解啓発にもっと幅を広げたいというか、講演機会を増やしたいということもあって、ちょっとつながるように(他の地域活動支援センターに)自分で動いたのです。で、語り部の会に入って。

語り部の会というのは、専門学校でこれから精神保健福祉士になる学生さんに、当事者というか精神疾患当事者の体験談を語るというか、そういう話をする機会をいただいたり、大学で精神疾患について学んでいる学科に話をする機会をもらったり、そういういろいろな場所で話をする機会があって、話をしに行っていて。

その当時は、それプラス家族向け、僕と同じような精神疾患を持っている息子さんや娘さんがいる家族の方に話をする機会ももらったり。あとは一般の方で、ボランティアというか、ボランティアに入る前に精神疾患のことについて、ちょっと当事者の声を聞いてみたいということで話をする機会をもらったり……。」

Q.障害年金は受給していますか

「年金は、もらっております。今2級ですね。この間まで生活保護を受けたり。今はちょっと生活保護を抜けられたのですけど。今は、詩とか絵とかを書き始めてそれがどんどんどんどん広がって。今までの流れの中で、障害者の表現活動を支援する場として工房があって、いろいろな精神疾患であったり身体障害であったり、いろいろな障害の方が来られて、表現していくということで絵を描いていったり……。

そこではお金にならないですけど、僕の場合は、精神疾患だから精神疾患の理解啓発のために、いえば思いを込めて絵を描いて、絵を、例えば、見てもらえる作品展があったり展示会があったりした時に出すじゃないですか。でタイトルつけます。こういう思いで描いた絵が貼られて、いろんな方が見てくれます。いろんな感受性があるので、どんなふうに思われるか分からないのですけど、僕は、それはそれで理解啓発の一つとしてのツールとしては持っていて、いろいろ絵を描いてきましたけど。

笠原さんの作品「ぼく生きていくよ」
笠原さんの作品
「ぼく生きていくよ」

東京の事務所、パラリンアートという事務所があって、どこだったか、障害者の自立を支援するといって。会社にアーティスト登録(をします)。それは、友達に教えてもらって展開していったのですけど。それで、ホームページ上で、僕、『けんぼー』で載せているのですけど、兵庫県『けんぼー』の所をクリックしたら僕の絵、何作品かが見られるようになっていて。で、ある会社が、例えばカレンダーに使いたいとか会社の絵として飾りたいとかになった時に、その売り上げの何%かが入ってくる。」

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