統合失調症と向き合う

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笠原 健さん
笠原 健さん
(かさはら けん)
1977年(昭和52年)生まれの38歳(収録時)。26歳、精神科病院で作業療法士として働いていた時に症状が出現。その後、病院を退職し、現在は、入院している患者さんの退院準備プログラムの手伝いや精神疾患の啓発などピアサポーター活動を行い、アーティストとして絵や詩も書いている。
「詩人artistけんぼーの世界」はこちらからご覧ください→https://kenbo1219.jimdo.com/
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11辛かったこと
Q.今まででいちばん辛かったのは?

「今までいちばん辛かったのは……、辛さは、いろんな辛さが、その時がいちばん辛くて、また違う時がいちばん辛くて。だけど、親が、発病の時に、病院の2年目の時ですけど、(まだ)働いていた。3つの穴と言っていたのは、親が離婚しました。学生時代からつき合っていた子と別れました。仕事の負荷がかなり上がってきましたということで、すごく重なった時期だったのですけど。

親の離婚というのが、お父さんはすごく、まあ迷惑をかけたというか、家庭、家族に対して。それは分かるのですね。僕より先にお兄ちゃんがいて、家族会議が開かれたのですけど、お母さんは、いわば100%お父さんが悪いという雰囲気というか。僕の中では、お父さんがこれから一人で生きていくのに、1%でも自分(母)にも非があったけどみたいな、そういう1%でさえも非があったということでお父さんを一人で生きて行く力というか、後押しみたいなものにもなるのではないかなみたいの(思いが)あったのですけど、お母さんは、100%お父さんが悪い。お兄ちゃんは、僕より先に生まれて、お母さんが苦労してきたのは分かるということを言った時に、やはりそこで『人の気持ちを分かるということを軽々しく言うな』ということになって、僕が。

だからお父さんはお父さん、お兄ちゃんはお兄ちゃん、お母さんはお母さん、僕は僕、もうバラバラになり。家族って絆で固まっているものなのかなと。そんなに意識していなくても無意識の中で、ちゃんとした絆でつながっているというものが、『そんな簡単に脆(もろ)く、バラバラになってしまうの?』みたいな……、あれは衝撃的っていうか。

大学も1回中退したのですけど、その時も精神的にもおかしかったなと。お兄ちゃんとよく比べられていて、お兄ちゃんの背中を追って、ま、追いつけ追い越せみたいな感じでやっていた時期だったのですけど、やはり挫折して、自分で勝手に退学届を出して。それでノイローゼ気味になっていた時に、お母さんに聞いたのですね。僕がここまで生きてきて、すがるような思いで『お兄ちゃんよりいいところって、何かある?』みたいなことを言った時に、お母さんはちょっと声を詰まらせて、結局、『健は健でいい所あるんじゃないの』みたいなことで終わってしまって、僕の中に何も出てこなかったという……。

それにすがりたかったのですよ、次の段階に進むのに。幻聴が、僕は台所ではなくて別の部屋にいて、学生時代に、それでお母さんが台所にいて。それでお兄ちゃんはもう大学出て行っていて、僕は、お母さんと僕とお父さんとの生活で。で、お母さんが台所にいるのだけど、聞こえるはずもないのだけど、『あんたなんか生まれてこなければ良かったのに』という声が聞こえたような気がして。で、どうしようもない感情が出てきて、ガラスを割ったのですよ。ガラスを割った瞬間に、ブワって現実に返ったというか。で、割ったのも、『なんで?』みたいな。たぶんあれは今で思えば幻聴だったのですけど。中学ではないと思うのですけど、高校生かな。」

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