「(障害年金)今、もらっています。2級です。父親の老齢年金のほうで賄ってはやっているのですけれども。
ケアマネージャー(相談専門支援員)もつけていたり、あとは、ヘルパーステーションも使っています。というのは、父親のヘルパーなのですけど、自分も手伝いということで、自分自身の障害のライセンスを使いながら、そのヘルパーを利用しています。」
「まだまだ、精神障害の要は重い人達にとって、いろいろ交通面とか福祉面とかまだ不十分な面があると思います。例えば鉄道とか他にもいろいろあると思うのですけど。例えば、なぜ鉄道かと言ったら、電車で違うところまで通わなければいけないのに、なぜかそこが割引にできない。なぜ割引にならないかを求めているかというと、もらっている収入が、障害基礎年金しかもらっていないからそこまで歩み寄れないということがあったりする人達もいるので。
そういう意味でも、そういうことが良くなればいいかなというのはありますし。もっともっと、当事者の人達が集まってその会を開いてみんなで交流の場を広げて、もっともっと輪になっていって、いろんなサークルを作ったり、ということが増えればなというふうに思っていますけどね。」
「やはり、ただ薬をあげるとかそういう医者ではなくて、対面的に話をして、その人が何を求めて、何をどういうふうに治したいかということを拾ってくれる医者というのがやはり良い医者なのかなぁと思っていますし、病院も、ただ薬をあげるだけではなくて、ちゃんと、来院者のケアをしてあげるという病院が必要だと思います。
でも、大元はやはり自分で行ってみて、自分にマッチしているかどうかということは自分自身にかかってくると思いますけどね。」
「父親と決裂して、東京へ1回行ってみると言った時に、お医者が、『寺島さんだったらこんなことあっても乗り越えられるから待ってるよ』みたいな言葉を言ったのですよね。そしたら、まあ、いろいろ失敗もしたけども、結局乗り越えてここまでこられたのでということはあって、それが嬉しかったなということはあります。
あともう一つのエピソードとして、ジークンドーを失敗して帰って(きた)。東京で1回、ツイッターで知り合ったジークンドーの知り合いがいたので(すが)、その人と決裂してしまって、失敗したのですよね。それで、帰ってくるために新宿駅で待っていた時に、これからどうしようとずっと真っ暗になっていた時に、とある老人が、『死ぬ前に長野をちょっと見てみたい』と言っていた時に、『ああ、故郷を捨てようとしていたけど、老人がこんなにも愛してくださっている。だったら故郷を捨てたらだめだ』と思って帰ってきたのですよね。
それに対して帰ってきた時に、みんなが暖かく迎えてくれたということと、なにしろ故郷のご飯がおいしかったということで、そのために、今、ジークンドーを学んで、ジークンドーの同好会を立てようということで、頑張ってやっていますけどね。
まだ教えているのは一人なのですけど、それは仲間としてなので、来年から本格的に稽古会に行ってアピールして習って、ぜひ東京の大元の先生に許可を得ようかなと思ってやっていますけど。」