がんと向き合う

大腸がん 小腸がん 肺がん 膵臓がん 乳がん 子宮頸がん 卵巣がん 緩和ケア +plus イベント おしらせ
安田 洋一さん
安田 洋一さん
(やすだ・よういち)
東京都在住、自営業。2004年9月、内視鏡検査により上行結腸部分に腫瘍がみつかり12月に切除。リンパ節の転移があったためリンパ節の郭清も行う。退院後2年間の抗がん剤服薬を経て、現在に至る。男性のための患者会設立を計画中。がん患者団体支援機構理事。
movieImage
5退院後は9時就寝、5時起床

「退院後の生活は、病院が9時消灯6時起床でしたので、ほぼその通りに生活しておりました。抗がん剤治療は、点滴に通うか経口でいくかどうするかという選択肢があり、経口のほうが楽なので経口でお願いして、飲み薬で対処しました。そうすることによって仕事もできますが、薬を飲む時間はきちんと守らないといけないので、病院の生活スタイルを崩さないように、僕は当時9時に寝て朝5時に起きるという生活をほぼ2年間していました。

薬は1日3回飲みますが、3回目の薬が夜10時だったので、それはかみさんに毎晩起こしてもらって薬だけ飲むということを2年間続けました。子供と一緒にもう完全に寝ていましたから、相当健康な生活をしていたと思います。自宅に記録帳がありますが、いまでも薬はほとんど100%完璧に飲んでいます。やはり命に関係すると、人間誰しも何でもできると改めて認識しました。

食事はなるべく3食採るようにしました。やはり肉がずっと好きだったので、野菜はほとんどお飾りの状況でしたが、いまはなるべく肉食はやめて魚と野菜を食べるように、外食もなるべく野菜を多く採るようにしています。退院後は、ほとんどの食事は味が濃くて合いませんでした。塩分控えめでやっているとはいっても、濃すぎて濃すぎてとても食べられませんでしたが、少しずつそれが戻ってきて、いまは食べられるようになったという状況です。お酒はもう飲まないし、たばこももうきっぱり縁を切りました。」

●相当イライラしていた

「僕はあまり気付いてはいなかったのですが、相当イライラしていたというのはあとから聞きました。8時間ごとにきちんと薬を飲まなければいけないので、その管理を自分なりにやっていたつもりですが、家族の協力なくしてはできなかったので、その辺のストレスは家族にも相当あったと思います。どこに行くにしても薬のことはつきまとうので、四六時中そのことに気をつかっていました。あと薬を飲む前後1時間は食事や飲物はいっさい採れないないという条件がついていたので、特に家内には相当厳しいプレッシャーがあったのではないかと思います。あとどうしても術後の傷口の痛みがあり、激痛が走ることもあったので、そういうことも含めて相当、当たり散らしていたということをあとから言われました。

当たり散らしていただろうとは思いますが、そのまま済ませていました。別にお酒を飲みに行くことはいっさいしませんし、たばこを吸うわけでもなく、とにかくすべて飲みこんでいました。だから逆にイライラしたのかもしれないですね。」

●仕事量を減らす

「手術日が決まるまでは平常通り、何事もなく仕事はしていました。お客さんにも『腸閉塞で入院、手術するかもしれない』と伝えて、がんであることはいっさい伏せておきました。仕事の量もなるべくセーブしました。当初、手術後1週間ほどで退院できるという見込みでしたので、その1週間だけはどうしても不在になるので『旅行に行く可能性がある』と周りには伝えて、皆さん騙してごめんなさいという気持ちでしたが、(がんのことは)いっさい言わなかったのです。その後、退院してからは、『がんだったのか』といろいろな人から聞かれて、なかには僕の顔を会社まで見に来る方もおられました。仕事の量もやはり減らしました。やはり生きるとはどういうことかを考えさせられた面があり、経済的なことは非常に重要なことですが、生きることを優先に考えていまは生活をしています。」

●意識して生きる

「サラリーマンではなくて自分で仕事をしている関係上、時間の配分は幸いなことにできるので、何かあれば家族に時間を割くようにしています。あと、やはり生きていることを少し意識するようにしています。生きている、生かされているという気持ちを少し心がけて思うように。これはもう正直な話、病気前にはなかったことですね。いっさいなかったです。

子供の寝顔を見ながら、きちんと自分が振り返る時間を作るようにしています。遺言は毎年必ず書き換えようと思い、僕は自分の誕生日に書き換えるようにしていますので、最低1年に1回は振り返ります。闘病記もあるので、それも見返して“いま、生きている”ということを感 じて、振り返っています。あともうひとつ目標があり、僕はまだ父母姉が健在なので、父母姉を看取らない限り、僕は死ねないと思っています。そのためには自分でやりたいことは我慢できます。これは決して嫌で我慢しているのではなく、好きで我慢できると。家族のため、皆のために時間を割けるということ。いままではそういうことは、なかったかもしれないですね。」

●日記をつける

「病室にパソコンを持ち込んで、すべて打っていました。リアルタイムで全部記録していて、天気も入っていますから、正直言えば日記ですね。検査を受けて以降すべて、病院に入院中のこともすべて載っています。手術が終わったときの写真も全部載っていて、記録があるのでいつでもきちんと振り返れます。それは病気をした方は必要なことではないかなと思います。」