「たとえば僕はいま、普通に生活はできています。生活できない状況であってもきちんと公表したうえで、やはり何をすべきなのか。特に仕事の場合、日本の社会はまだがんというもの、病気というものに対して、一度大病するともう現役ではなく、肩たたきが始まるのが現状です。でもそれを変えていかないといけないので、僕はあえてそれに挑戦している。そういう仲間はたくさんいます。そういう仲間で亡くなっていく方もたくさんいます。でも、それは続けなければ仕様がないのです。病気をする、がんになる可能性はみんなありますので、自分ががんになったとき、病気になったときどうなのかを少し考えていただければわかると思います。当然、治ることを前提に仕事もできますから、そうすると社会的にも損失を免れるのではないでしょうか。やはりいま、日本の経済活動のなかで一生懸命、仕事と社会を支えているのはわれわれの年代であるので、その人たちがきちんと仕事をできる環境を作ることが必要だと思っています。ですからあえて僕は実名で名前を出したいと思っています。」
「がんの治療は日進月歩なので、とにかく希望をもっていただきたい。がんで亡くなる、交通事故で亡くなる、人間は必ず死ぬということは前提ですが、とにかく生きる希望です。これは頑張るということよりも、たぶん病気を本当に受け入れられるかという気持ちの問題もあると思います。
家族に対してひとつお願いがあるのですが、がんと闘うためには本当のことを患者本人が知らないと闘えないのも事実です。それは抗がん剤の治療をするとか、いろいろなことの弊害が出てきてしまう関係上、きちんと話していただきたいと僕は思っています。基本的なことかもしれませんが、病気を受け止めることが、生きる秘訣なのかもしれません。これは家族の皆様にもお願いしたいなと思っています。」
「僕と子供2人で、お蕎麦屋に行ったときの話ですが、子供が野菜が嫌いで食べ残しをしました。上の子が4歳で下の子が2歳のときです。『食べ残しはしないほうがいい。野菜はきちんと食べなさい』と話をすると、『なんで?』と僕に質問するので、『お父さんみたいに病気になるよ』と言うと、お蕎麦屋の席は結構いっぱいでしたが、子供が『お父さんみたいにがんになるの?』と皆の前で話したのです。するとほかのお客さんからの視線が痛いほど感じられて、『大丈夫だよ、お父さんは。だから切って治った』と、大きな声で言いましたけど。やはりそれがいちばん大切だなと思いました。子供に対して何が正しいか、間違っているかではなく、どんなときでもある程度、毅然としてきちんと(がんを)受け入れられる、そういう気持ちがあれば、子供も安心はするし、それは患者としての勤めかもしれません。病院で治療を受けるときもすべてそうですが、患者は患者としての心得が絶対に必要だと思うので、人それぞれいろいろな事情や思いはあるかもしれないですが、そういう気持ちを少しもっていただければ医療従事者とは信頼関係ができて、いい治療を受けることができるかもしれません。セカンドオピニオンとかいろいろなことが騒がれていますが、自分で納得することが大事なので、そのための情報は、やはり自分で集めてくるしかないですし、そのために家族も協力してもらえれば、よりよい治療を受けられると思っています。」