「『がん=死』なんていう考え方は全くなくて、大腸がんで入院するときは本当に生き生きした気持ちで行きました。私は入院をあまりしたことがなかったのです。小学校に上がる前にトラコーマ(顆粒性結膜炎)で入院しただけで、ずっと入院生活をしたことがないので、『いやぁ、入院ていうのは楽しいなぁ』と思って、うきうきして入院しました。
私は両親ともがんをやっていますから、がんに対する不安が全然ありません。特に『がん=死』とは全然考えていませんし。『がんであっても普通の病気だ』と、そんな感覚しかないのです。
やっぱり生活したことのないところで生活するということも、人生の勉強になるな・・・と思いましたよ。ですから、たいした苦痛は感じなかったです。ただ、はじめ個室に入ったのですが、個室は寂しくてだめですね。やっぱり大部屋に行ってみんなの顔を見なかったら寂しかったです。だから個室はもう入りたいとは思いませんですね。
入院は合計6ヵ月です。大腸がんの手術が失敗しまして。失敗だと私は思うのですけれども。 結局『縫合不全』で、縫ったところがもれるということで、本番の手術以外に合計4回手術をしています。研修医がしたものですから、私はそのせいだと思っています。(本番の手術が終わって)4日目に『もう1回手術をやる』と先生に言われて、『何でやるの?』というような気持ちで、それが計4回ありました。ですから腹は傷だらけです、正直言いまして。
ですから今思うのは、『誰かの紹介状はないのか』と先生に3回ほど言われたときに、ちゃんと紹介状を持って行くべきでした。そうしたら研修医は手術をしなかったのではないかと思うのです。結局、私は紹介状がないので、研修医の勉強のためにやられたのではないかと思っています。
何か『馬鹿くさいな、損したな』というような気持ちで、それだけですね。3回目の手術で先生に、『お前さん1回もう死んでるよ』と言われました。やっぱり相当ひどかったんじゃないですかね。最後の4回目の手術のときは、『前の手術で少し残っているから、もう1回やるね』と言われました。その後はとりあえず手術はないです。」
「別の病院に変えようという気持ちはなかったです。どっちかといえば、選択肢がないということになるのですかね。あまりほかの病院は考えなかったですね。
ただいちばん失敗したなと思うのは、がんの専門病院でやれば、(手術は)一発でうまくいったのではないかと感じます。その病院は札幌の少しはずれにあるのでやめただけです。今考えるとそこに行けばよかったなと実は思っています。」
「入院していてある程度よくなると、先生に『病院に置いておけないので退院して』と言われて、一時的人工肛門をつけて2ヵ月間自宅に帰りました。特に苦しいということは何もなく、ただ人工肛門がついているから本当に面倒くさいと、そのような気持ちだけでした。
人工肛門をつけていてよかったなと思うのは、納豆が好きでいつも朝食べているのですが、納豆が粒のままばーっと(人工肛門から)出るのですね。ですから一所懸命噛んでいるつもりでも、たいして噛んでいなかったということで、今はもう口がつらいくらい、口の中に粒々がなくなるまで噛んでいます。人工肛門をつけて本当にそれだけは勉強になりました。たくさん噛みなさいということなのですね。」