がんと向き合う

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渡 喜美代 さん
(わたり・きみよ)
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1963年生まれ。両親と兄姉5人の8人家族、自然に囲まれた環境で育つ。上京後24歳で結婚、1男2女に恵まれる。38歳のとき直腸がん(ステージ2)と子宮頸がん(ステージ1a1)が見つかり手術、人工肛門と人工膀胱を造設。放射線性直腸炎、仮性大動脈瘤破裂、腎盂腎炎などを経験するが、がん体験者の本を読んでインドの死生観に触れたことで、病気が怖くなくなる。
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2直腸がんと子宮頸がんの手術 (2002年6月)

「大腸(直腸)がんと子宮頸がん(ステージ1a1)が見つかったので、子宮頸がんの手術も一緒にしました。ただ直腸がんがすごく大きかったので、手術の説明のときに『1回の手術で取れないかもしれない。取れなければ一時的に人工肛門(ストーマ)を造って、あとで放射線と抗がん剤でがんを小さくしてから、また手術します』と言われました。

実際、がんは取れなかったみたいです。主治医の先生が『お腹に手を突っ込んで腸を引っ張り出そうとしたら、癒着がひどくて体のほうが揺れた』と言っていました。

『手術終わりましたよ』と看護師さんに起こされて『今何時ですか』と聞くと『11時』と言われて、8時過ぎに手術室に入って11時なので『人工肛門か・・・。がんは取れなかったんだ・・・』とすごくがっかりしたのを覚えています。」

●術後の放射線治療と抗がん剤治療

「1日2回の放射線と、週5日の経口抗がん剤(5-FU)をあわせて4週間やりました。脱毛など抗がん剤の副作用はまったくなかったです。吐き気もそんなになかったですが、3週目ぐらいから体がすごくだるい倦怠感があり、胃が痛くなったんです。『胃が痛い、胃が痛い』と、それがしんどかったですね。

その頃、ストーマ装具にカバーをかけようと思って、近くで布と針と糸を買ってきて作ったのですが、その後1年ぐらい経って元気になって、その布や針や糸を見るとすごく気分が悪くなるので、もう捨ててしまいました。

5月28日に入院して、そのまま8月はじめまで入院していました。通院で放射線治療に来ていらっしゃる方もいたんですけど、私は家が遠かったので、そのまま入院していました。金曜日に放射線治療があり、血液検査をして値がよければ1泊外泊の許可が出てお家に帰れるので、それが楽しみでした。

(家は)田舎から母に来てもらっていました。突然の入院だったので、やっぱり子供たちはたいへんでしたよね。」

●子供たちへの説明

「がんということは、私はもう病院にいたので子供たちには言わなかったのですけど、姉が伝えたと言っていました。長女は中学2年生、長男が小学5年生、いちばん下が小学校1年生で、がんと言われても『たいへんだ』というイメージは多分なかったと思うのです。母親が突然入院してしまって、そのたいへんさのほうが大きかったのではないかと思います。

ストーマのことは、外泊で帰ってきたときに説明しました。『がんになって、治療のためにお腹に人工肛門というものを作ったのよ』と実際に見せました。なにか珍しいものを見るような感じで3人が見ていましたね。下の子はまだ幼いから、装具を貼る手伝いをしようとかそういう感じで、すんなり受け入れたんじゃないですかね。

主人にはそんな話は全然しなかったですね。ストーマを造ったというのは知っていると思うのですけど、見せることもなかったし、病気の話もほとんどしなかったです。」