「がん自体は、自分は『やっぱり』という思いが強かったので、他の人よりショックを受けるというのはなかったと思うんです。家族はすごくショックを受けていましたけど、私自身はすんなり受け入れていました。下血したりお腹が痛かったりという症状がありましたし、自分の中ですごくストレスが多い生活をずっとしていたという思いがあったので。
気持ちの切り替えが上手じゃなかったという部分で、いろいろひとりで抱え込んでいたのかなと思います。なので病気自体は『やっぱり・・・』と思ったんですけども、それでもがんに対してすごく不安にはなったんですね。『なんでこんなに不安なんだろう』と思ったときに、『死ぬのが怖いからだ』と思ったんです。『じゃ、なんで死ぬのが怖いのか』と思って、それはやっぱり子供たちも小っちゃくて置いていけないというのもあるし、人が死ぬということを認めきれないという思いがあったのかな。
その頃に読んだ、がんの体験者が書いた本に『インドのガンジス川で子供たちが水遊びをしていてその横を動物の死骸が流れていって、その動物はそのまま自然に水や土に返ってそれがごく当たり前のように日常の中で起こっている』みたいなことが書いてあり、それを読んだときに『あぁ、なんか死ぬってこういうことなんだ』とすごく気持ちが楽になったんです。そうすると病気をするのもそんなに怖くなくなって、『必ず人間は死ぬんだ』と思ったときに、気持ちがすごく楽になった。だから死を受け入れた時点ではじめてがんと向き合ったのかもしれないです。でも受け入れたからといって、死ぬわけにはいかなかったんです、絶対に。自分の死生観に関しては、その本がいちばん印象に残っています。」
「できれば楽しく生きたいですよね、誰でも。病気をしたしないに関係なく。だから自分自身をすごく大事にできるようにはなりましたね。今まで具合が悪くてもぎりぎりまで病院に行かなかったのですが、もうそうではないという生き方も含めて自分を大事にできるようになったかな。いろんな意味で、病気をして生きなおすことができたかなと思います。
でも『生きなおす』と言うと、今までの自分を否定するような感じですが、生まれ変わったというとちょっとオーバーですけど、病気をして新しい自分が生まれたような気はします。性格とかそういったものは変えられなくて引きずっている部分もありますけど。」
「(性格が)明るいとは言われるんですけど、小っちゃなことをクヨクヨしますね。たとえばお話をしていて、いったん『さよなら』と帰るじゃないですか。そうするとああいうこと話した、こういうこと話したと思い浮かべるんです。そのときに『なにか言っちゃいけないこと言っちゃったかしら』とかそういうことをずーっと気に病むんです。だから、ときどき俗世界から逃げたくなる。
喜怒哀楽の『喜』以外のものを出すのがちょっと苦手なんですよね、怒るとか。哀しむは別ですけれども。笑い以外の感情はまったく出さなかった時期があったので、今、一生懸命出せるようにはなってきているんですけど、出したら出したで後悔するんですよ。だから自分の思いは出さないほうが楽なんです。そういうのは変えられない自分として『いいのかな・・・』とは思いますけどね。」