「2004年の4月ぐらいから腹部膨満感がずっとありましたが、まだ24歳だったので、これほど大きな病気になるとは思っていませんでした。お腹があまりにも張っていて、足の爪を切ろうとしてすごく難しかったので、最近太ってきたかな?太っている人ってたいへんなんだな、というぐらいに考えていました。ときどきお腹が痛いのもきっとこれは最近太ってきたからだろうな、お腹の調子が悪いからだろうなと思い、気には留めていたのですが深刻には受け止めていませんでした。
もしかすると、それより前から徴候があったのかもしれませんが、日々の忙しさに紛れてしまい、自覚症状はそれぐらいからです。
5月28日にだんだん痛みが強くなってきて、夕方には『もうこれは無理だ、何かおかしい』と言って総合病院に運んでもらいました。倒れたというのが正解です。
救急の先生が見たときに『これはおかしい。横臥した状態でも腹部が膨らんでいるのはおかしい』と言って、そのままCT(コンピュータ断層撮影)に回されました。すると右側の卵巣と卵管がありえないぐらいに腫れ上がっていたので、『これは卵巣腫瘍だろう』ということで、卵巣がんなのか、ただの良性腫瘍なのかはわからないけれど、一度これが破裂したらそのショックで死ぬから『今すぐ入院して』と言われて、その場で入院が決定しました。
『家に帰っていいですか?』と言ったら『ダメダメダメ、何言ってるの』と言われました。しかし一人暮らしのため、入院の準備をどうするのかという話になり『無理しないから行かせてほしい。3時間以内に戻ってくるから』と言って一旦下宿に帰り、全部自分で荷物を用意して病院に帰りました。そこから3日後には緊急手術だったので、入院の準備等はほぼ自分一人でやったに等しいです。足りないものだけ、次の日から家族に持ってきてもらいました。」
「手術をして卵巣をとりました。とりあえず取り出さないと卵巣は細胞診ができないので、取り出した卵巣を病理診断に回した結果、卵巣がんということが判明した形です。
卵巣がんの告知の時は、わりと嫌な予感がしていました。手術後に『両親来られる?家族来られる?』とずっと言われていたので、絶対何かあると思っていたら案の定という感じでした。むしろ家族のほうが顔面蒼白で、倒れるのではないかと思うぐらい全員顔面蒼白でした。自分が生活習慣病などの研究をしていたこともあり、選択肢としては『このままやり過ごして再発しないのを祈ってびくびくしながら生きていく』か、『抗がん剤である程度叩いてその後ある程度の安心を手に入れるか』のどちかだとその場でわかったので、『安心を手に入れるほうでしばらく頑張ります』という感じでした。よく頭が真っ白になると言いますが、それが私は全くなかったのです。科学者の卵だったせいかもしれません。それよりもあの巨大卵巣腫瘍で『今すぐ入院して』と言われたときのほうが、『明日の実験どうしよう』とか『冷蔵庫の中身どうしよう』と、そちらにばかり頭がいって、そのほうがパニックだったと思います。」
「全くの寝耳に水です。私は趣味が格闘技なのですが、倒れる前日まで格闘技の道場に行って、板やブロックを割っていましたから。もう『体の強さで誰か勝てる奴かかってこい!』ぐらいのつもりでいたところに入院と言われて、びっくりしました。」
「入院した時点で点滴をつけられて、なぜ点滴をするのかよくわからなかったのですが、点滴つけっぱなし、生理食塩水入れっぱなしの状態でしたので、『痛い』と言うと、点滴に痛み止めを混ぜてもらうような状態でした。手術前はほとんど痛みや苦しみはなく、過ごしていました。卵巣が本来なら親指と人差し指で作った丸ぐらいの大きさのものが、3キロ近くまで巨大に腫れ上がっていたので、引っ張り出すために開腹手術ですごく大きく切ったのです。その分、術後の痛みはすごかったです。
痛みはある程度我慢しましたけど、これは本当に無理だなと思った最初の1日2日だけは、ナースコールで呼んで『ちょっと痛いんですけど』と言って、少しだけ痛み止めを点滴に混ぜてもらいました。
痛み止めのせいなのか手術の麻酔が効いているせいなのか、とにかく眠れるので、眠っている間はそれほど痛みを感じず、寝ている間がいちばん楽でした。笑ったりすると痛いのです。もう本当に“日にち薬”という感じで、日一日と良くなっていくのがわかりました。」