統合失調症と向き合う

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岡田久実子さん
岡田久実子さん
(おかだ・くみこ)
2人娘の長女が統合失調症の体験者。治療を受けるも病名や統合失調症に関する情報がない中、娘が再発。いくつか病院を変えながら回復を目指した。親として辛い経験をするが、現在は、娘の症状も安定し結婚、育児をサポートしている。さいたま市精神障害者もくせい家族会会長として、今後の精神科医療や社会のあり方への提言をしていきたいと語る。
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10一番辛かった時

「最初の時もそうですけど、一番やっぱり辛かったのは2度目の再発の時ですね。ちゃんと病院にも通っていたし、薬もちゃんと飲んでいたのに再発したというのが、やっぱりすごく大きかったです。

6か月間、薬を飲みながら躁状態の娘と対峙して、それを支えるのもすごくエネルギーを奪われる期間でしたし、そのあとの再発だったので、ほんとに私自身がエネルギーを無くすぐらいの状況の中で…。その時に会った友人からは、ほんとうに立っていられるかしらというような状況だったというふうに、傍から見てもそんな私でしたね。

そこから立ち直れたのは、やっぱり家族会活動の中でいろんな方の状況を知っていたのと、あとは家族同士だけではなくて、いろいろな専門家の方とも近づきになれていて、『大丈夫なんだよ』というメッセージは常にいただいていましたし、かなり状態の悪い、幻聴が常に聞こえていたりとか、妄想的なことをつい考えてしまう、そういう症状を持ちながらも仕事をしている方とか、笑いながらその妄想の話をされるご本人の方とか、そういう当事者の生の姿もたくさん見てきていましたので、娘も、いろんな状況にはなるかもしれないけれども、なんとかやっていけるだろうという先の姿を描くことができたので、そこから這い上がれるエネルギーにはなったかなというふうに思います。」

●娘とのぶつかり合い

「一番辛かったのは、娘が、私から離れられない状況になった時があったんですね。『もうお母さんどこにも行かないでぇ』と。別に部屋でべったりしているわけではなく、娘は自分の部屋にいるんですけども、同じ家の中にお母さんがいないとだめというふうな状態になってしまって…。それでしょうがないから、様子を見ながら、娘が昼間うとうとしている時に、こっそり抜けて買い物に行くというような生活をしていた時期があったんですね。

それがある時(娘に)見つかってしまって、メールで、『あれだけ言ったのになんで私を独りにしたんだ』と怒っているんですよ。それで、お母さんなんか私のことなんにも分かっていない。あれだけ言ったのに私を独りぼっちにしてひどい、お母さんなんか、もう、どうしようもないみたいなメールが来たんですね。買い物の途中でそれを読みながら、もう情けなくなってしまって。それでうちへ飛んで帰って、娘の部屋に行って、もう私、泣きながら、『こんなにあなたのことを考えて生活しているのよ。あなたが不安になるといけないから、あなたが寝ているからと思って、こっそり抜けて買い物に行ってきたの。この買い物は、家族が必要な食事の材料で、あなただってこれを食べなかったら生きていけないでしょ。お母さんが買い物に行かなかったら、あなた、何を食べて生きていくの。いろんなことを考えた時にお母さんだってやりたいことがあるし、24時間365日、この家の中にじっとしているのなんて、もう、できない。お母さんがそうして(一緒に)いなかったらあなたが生きていけないのだったら、何か薬を変えてもらうとか入院をして、ぎっちりもっとあなたがそうじゃない状態になれるような治療をしてもらうとか、何かちょっと手段を考えないといけないから、よく考えてちょうだい。今日、あなたが言ったような要求は、お母さんはもう受け入れられないよ。もうこれが限界だから』と、私、泣きながら娘に言ったんです。そしたら娘はもうびっくりして、『こんなことでお母さんが泣くとは思わなかった』と言ったんですよ。

だから、子どもからすると、親ってスーパーウーマンみたいなところが、特に母親は、きっとそういうイメージがあって、何を言っても大丈夫だろうと、だから甘えで、なんでもぶつけてくるんだなと、その時に思ったんですね。それで娘に少し考えさせました。そしたら娘が自分の部屋から出てきて、『大丈夫お母さん』と。リビングにいると、冷蔵庫の前に白い髪の毛のような光が見えるんですって。まあ、幻視なんでしょうけど。それが見えるともう怖くなってしかたないんだけど、自分の部屋でそういうものは見たことがないということに気がついた。だからお母さんが出かける時は、私は自分の部屋のベッドの中でじっとしている。そうしていれば大丈夫だからと言ったんです。だからお母さん出かけてもいいよと言ったんですね。だから『ありがとう』と、ほんとに気持ちの底からお礼を言って、じゃあお母さんも約束するよと。出かける時には前もって、前の日に、明日何時から何時まで家をあけるよ、で、約束の時間には必ず帰ってくるようにするからと。

それをやり取りすることで、少しずつ私が家を空けることができるようになりました。そして、帰ってきた時に、『大丈夫だった?』と言ったら、『うん大丈夫だった』と。それが本人の自信にもなったみたいで、そのきっちりとした約束が、だんだん緩んでいって、時間が長くなったりとか、週に何回も出かけたりと、だんだんそうやって娘との距離が取れるようになってきたんですねぇ。あのぶつかり合いがなかったら、いまだに私は、もしかしたら娘に寄り添って家でじーっと娘を見守る生活から抜け出せなかったかもしれないですねぇ。」

●親だからといって我慢し過ぎなくていい

「やっぱり、親も我慢し過ぎは良くないんだなあと。私も我慢して我慢して我慢していたんですよ。こんなに我慢していたのに、娘に、お母さんは何にも分かっていないと言われたときに、もう我慢の限界だなあと思って、私の中の我慢の糸がプチーンと切れたんですね。で、その時に、本音を言ったら、娘も、お母さんもやっぱり我慢の限界とかできないこともあるんだというふうに分かってくれて、じゃあ、お互いに譲り合いながら、良い頃合いを探して行こうねという距離の取り方を見つけることができたんだと思います。」

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