「そうですねぇ。やっぱり結婚どころか、恋愛さえも否定していた時期がありました。恋愛って一番感情の乱れやすいことなので。親ってほんとに馬鹿だなと思うんですけども、病気の症状の激しい時を経験してしまうと、またあの状態に戻ったらどうしようということが先に立って、もう恋愛なんてしないでくれて、とにかく穏やかに穏やかに毎日いてくれればそれでいいよという気持ちがどうしても先に立ってしまうので、娘が恋愛のこととか結婚のこととかを考え始めることを、どこかで否定したかったですね、すごく。
で、そういう話題になると受け止め切れないので、うやむやにしてやり過ごそうとするから、いつもそこで衝突になるんです。それで怒って娘はプイっと部屋に戻ってしまうということが何回もあって。ああ、こんなことで怒っちゃうなんて、やっぱり病気になったからだわと、やっかいな病気になっちゃったぁと、私はそれを病気の症状としか考えられなかった時期がずっとありました。
で、ある時、娘に、『お母さんはいいよね。もう仕事もしたし、結婚もして子供も産んだでしょ?私は何一つできていないんだよ?私の人生どうしてくれるのよ!』と言ってすごく怒ったんですよ。それを見た時に、あ、この子はまっとうなことを言っているなと、すごく思ったんですね。だってやっぱり人として生まれてきて、まして女性で、恋愛して結婚して子供産みたいというのは、ほんとに普通の希望ですよね?それを全部あきらめろと、親だからってそんなことを言っていいのかなと思った時に、ああ、病気の症状というよりも、あの子はやっぱり、これからどうやって生きたらいいんだろうというところで悩んでいるんだなと思ったら、やっぱり親は、そこを一緒に悩んであげなくちゃいけないなというふうに思い始めて。じゃ、無理かどうかはやってみなければ分からないんだから、ほんとに娘がこうしたいということがあるんだったら、それを実現できる方向で、一緒に悩んでみようかなというふうに、自分の気持ちを切り替えることができたんです、その娘の激怒に出会って。だから娘のそのエネルギーがあったことが、私は、素晴らしいことだったんだなと、今思うと、娘に感謝したいような気持ちでいますね。」
「そうですね、娘が言ったことで一番すごいなと思ったのは、『お母さんね、あたしね、自分が病気だということを忘れているんだよね』と、言ったんですね。薬はちゃんと飲んでいるんですよ。だから病気を否定するのではなく、やっぱり日々やることがあるわけですよ。結婚して、家事とか、自分の体調管理とか、いろいろ考えることが一杯ある。うちにいて、私が全部上げ膳据え膳でやっているときは、考えることが常に病気のこととか、自分は将来どうしたらいいかとか、不安なことばっかりをどうしても考えてしまっていたんだけども、今は、夕飯何にしようかなとか、あそこがちょっと汚れたから片づけなくちゃとか、そういうことに気持ちがいっているので、病気のことをまったく考えなくなったと。だからすごく気持ちが軽くなったということを言ってくれて、ああ、やっぱり結婚して良かったんだなぁと、すごく思いますね。」
「もともと介護福祉士で、ヘルパーもやっていたので、お年寄り向けの食事のこととかは勉強して、一通りできていて、発症前はうちでも夕飯を時々作ったりという経験はあったので、まったく忘れていたわけじゃなかったので、そういうことを少しずつ思い出しながら、『あなただったらできるよねぇ』と。時々作ってもらって、『おいしい!』とか必要以上にオーバーにほめたりして、やる気を支えたり…。お掃除はいまだにちょっと苦手みたいですけど、『大丈夫できるよ』というところを、家族とすれば一所懸命応援していったような形です。
(育児は)そうですね。生まれる前にはかなり不安が、ま、病気じゃなくても、出産って初めてのことだとすごくいろんなことが不安になりますけども、ちょっと気持ちが揺れた時期もありましたけれども、産んでからも大きく乱れることはほとんどなくて、ここまで来ています。」
「それはあります。やっぱり再発ですね、常に一番心配なのは。またあのことを繰り返すと、回復するまでにどんどん時間がかかるようになってきていましたから、それを取り戻すというのは容易なことじゃないですし。今度は、家庭ももって、再発することで影響を与える範囲が広がっていますから、やっぱり再発が一番気にかかりますね。」