「すぐ入院になったんです。入院中は薬を飲んで、あとは、特に何もせずに過ごしていました。これが最初の入院ですけど、このときは、特に作業療法だとかはなくて、ひたすら休むということだけでした。1か月、入院していました。」
「退院したあとは、別の心療クリニックのデイケアに通い始めました。大学の保健管理センターに、その病院のパンフレットが置いてありまして。その病院は当時できて間もない病院でして、『まあ、行ってみたら』というようなことを言われまして、じゃあ行ってみようかということで、その病院に行ってみました。
大学は、1年の初めの2か月しか行っていなくて、入院する時にはもうすでに大学を辞めていました。
デイケアに初めて行ったときは、なんて言うか、病院ぽくなくて、あ、こういう場所もあるんだなと。それと、結構年代の近い人たちが一緒だったので、仲良くやっていけそうな気がしました。そのデイケアには1年間通っていまして、結構、農作業をしたりですとか、あとはスポーツだったり、ミーティングというのか話し合いの時間があったりして、充実した過ごし方ができたと思います。」
デイケア:地域の保健所や精神保健福祉センター、医療機関などで、レクリエーションやSST(社会生活技能訓練)などを組み合わせることで、社会復帰の足がかりとする取り組み。
「そのあとですね、短大に進学します。農業を学びたいというふうに思いまして…。それもデイケアでの農作業がきっかけでして、農業の短大に進みました。
デイケアに通っているときは、薬も飲んでいなくて…。デイケアに行っているときは、楽しく過ごせていましたけど、家に帰ってから、なんかつまらない時間を過ごしていました。
そのときに短大進学と同時にデイケアを卒業しました。短大の位置とクリニックの位置が近ければいいんですけど、それがちょっと遠かったり交通の便が悪いものですから、(デイケアには)行かずに、大学生活を過ごしていました。」
「最初は、回りがみんな、18、19(歳)の人達ばかりで、自分だけちょっと年上なので、なんか、とても気まずい思いはしていました。それに、みんなと仲良くなれるかなとか、結構緊張していまして。で、勢いで野球部に入ったんですけど、その中でもなんて言うか、実力は全然なくって、それで、『なんでこんなことやったんだろう』と、ちょっと落ち込んだ時期がありました。そのとき、保健師の先生に相談して、デイケアのクリニックに行って、相談して薬をもらったりして、まあ、急場をしのいだというかな。最初は、急場はあったんですけど、短大生活に慣れてくると、自分の役割というか、ポイントが分かってきて、そしたら特に症状だとか病気のことはまったく意識しなくなりました。
薬は、急場をしのぐときだけ、ピンポイントで飲んでいまして、常に薬を飲んではいませんでした。そのクリニックに行く頻度も、だんだん時間が経つにつれて減ってきました。」
「卒業後は、別の大学の3年次に編入しまして、そこで2年間過ごしまして、大学を卒業しました。
実は短大のときにはもうすぐに就職しようと思っていたんですけれども、いざ就職面接会とかに行ってみますと、自分があまりにも準備できなかった、してこなかったことが、ありありと分かってしまったので、これじゃあとても就職は無理だと思って、編入学に切り替えようと思いました。
(4年生)大学に編入してからは、特に症状はなかったです。ただ、アルバイトには挑戦したんですけど、なかなか長続きしなかったということがあって、そのたびに落ち込んだりやけになったりしていました。
やっぱり最初のほうはいいんですけど、ちょっと慣れ始めてから行き詰ってしまって、そこで心が折れてしまって、『もうだめだ』と思っちゃう、そういうパターンが、今でも繰り返し続いています。」