統合失調症と向き合う

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津田敏正さん
津田敏正さん
(つだ としまさ)
1979年生まれ、33歳(収録時)。23歳のときに発症し精神科を受診。子どもの頃から建築・不動産業に関心があり、29歳で宅建(宅地建物取引業者)の資格を取得。現在は、特例子会社で働いている。1人暮らし。障害者手帳3級。
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7再びの就職〜退職
Q.再度就職して状況はいかがでしたか

「やっぱり自分がもともとなんて言うか、そういう資質がないというのは、ある意味、自分でも分かっていたけれど、そういうふうに言ってくれたのだったらやっぱりやってみなきゃわからないというところもあったんですよね。

やっぱり、周りとの人間関係に困りました。『津田さんだけ特別待遇されているんじゃないの』みたいな陰口が聞こえているような気がして…。で、仕事もすごくハードだったんですよ。(勤務時間は)6時間ではあったんですけど、6時間じゃ終わらなくて、毎日、仕事を自宅に持ち帰って、もう、そのことしかほとんど考えられない状態でした。まあ、(就労期間は)1年3か月ぐらいだったんですよね。」

Q.それで入院することになったのですか

「それが2007年の7月ですね。月に1回、報告に行くんですよ、会社に。どういうことをやっているかということを。で、僕以外にもその会社にそういう形で雇用されている方が僕を含めて3人いて、その2人は、同じ作業所(なのか)、結構知り合いだったみたいで、僕だけ違うところみたいな感じでやっていて…。

報告を毎回聞くとなんか自分のやっていることが、他の2人に比べて、全然なっていないみたいに思えて。そこもちょっと自己嫌悪じゃないですけど。あと、ピアヘルパー的なところでもやっぱり、周りに作業所に他のそういう立場の人もいないし、職員は職員で忙しいし。まあ、一応、直属の指導の、上司みたいな形の人もいましたけれど、自分がなかなか理解できなくて、言っていることが。それもまた、結構苦しかったですよね。

そういった心労が結構たたって、アカシジアみたいな症状が出て、もう、眠れないし、じっとしていられない。だから公園を、近くにある大きな公園をグルグル回ったりして、眠くなるまで、疲れきるまで歩いて、そのまま寝るみたいなことを、1か月ちょっとしました。もう耐えられないからちょっと入院させてくれという話をしたんです。その時も、だからある意味、当然休職していて…。初めての入院だったんですよ。1回だけですけど。入院してしまえば結構憑きものがおりたようにアカシジアの症状は治まったんですよ。」

Q.退院したあと職場に復帰しましたか

「でも、このまま、施設長とか指導員の人は、『復帰すれば?』みたいなことも言ってくれたのですが、なんか自分の将来がそこでは描けない気がして…。そこの会社はきれいだけど、すごくなんか居心地が悪いという感じ? ま、自分の感覚ですよね。これで復帰して頑張ってまた再発してしまうかもしれないし、うまくいっても、その会社に勤めていることが本当に自分の道なんだろうかとやっぱり悩んで…。で、『すいません、もう退職します』ということになりました。

ほんとうに苦しかったですよ、やっぱり。言われたこと(を)、かなり自分なりに真摯にやって、こういう形でかなりいいお給料とかももらっていて、『津田さんしかできないんだから』みたいなことも言われたことがありますし。せっかく自分の障害を分かって雇ってくれているのに、それを自分の都合で…。僕、自己都合で辞めたことはほんとうになくて、みんな『辞めてくれ、辞めてくれ』と言われてばかりだったから、それを自分のほうから辞めさせてくださいというのが、すごく心がちぎれるような感じで、苦渋の選択でしたね、ある意味。」

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