「1か月ぐらいデイケアに行ったのですが、あまりにものんびりした感じで、自分には合わない。やっぱり、働いているほうが気が紛れる。ただでさえなんか宙ぶらりんな感じだったこともあって、次どうしたらいいか…。で、どこか所属の場所を(で)やらなければいけないなとやっぱり思ったんですよ。で、やれたのは、自分が長年お世話になったところ。他の作業所に行くという選択肢もあったとは思うのですけど、また元の鞘(さや)に戻る、メンバーに戻るという選択をしたのが、自分を引き立てるというか、鼓舞させるきっかけになったのかもしれません。
やっぱり自分は被害的なので、他の周りのメンバーさんから、『出戻り、出戻り』みたいな感じの、言わないですよ、誰もそんなことを言わないですけど、自分がそう思ってしまって。だから就職しなければいけないと思いました。で、どうする(か)。でも、全然、ある意味、まだ退院して11月ぐらいだからまあ1か月ちょっとぐらいしか経っていない時ですよね。で、思い出したのが、特例子会社なんです。(特例子会社とは)簡単に言うと、障害者に配慮をした会社の作業所版みたいな知識ですね。当時は。
調べたというか、自宅の母親の本棚に(あった)、2005年の暮れぐらいに、ある特例子会社、知的障害の方が雇われている特例子会社のドキュメントを読んだんですよ。その時、『ああ、こういう会社があるのか』とか、そこで働く人の中に立派さというか、重度の判定を受けてもこういうふうになりましたとかそういうのを見て、ある意味、『ああ、自分は全然ダメだな、知的障害の人でもこんなにやっているのに…』みたいなことを思ったんですよ。それを思い出して、だったら僕も、『今だったら』と、全然根拠もなく思ったんですね。
でも当時って、今でもそうでもないですけど、やっぱり精神障害者を雇うという特例子会社というのはほんとうになくて。で、いろいろ考えて、12月ぐらいに障害者受託訓練というのが、結構あるんです。身体(障害者)向けとか、知的(障害者)向けとか精神(障害者)向けみたいな。それのリストに、自宅から十分通える特例子会社の精神障害の訓練生を募集していますということを地活(地域活動支援センター)で知って、それに応募したんです。それが2008年の始めですね。
そこで、『訓練はさせてあげますね』みたいなことを口約束ですけど、はっきり聞いたんですよ。ああ、じゃあ、ここで頑張って、そこで雇用してもらえるように頑張ろうと思ったんですよ。なんですけど、翌日急に、『あなたは面接の結果、訓練生にはさせません』みたいなことを一方的に言われたんです。よーし、じゃ、絶対見返してやるみたいなことと、ちょうど当時、2007年の秋のドラマで、『ドリームアゲイン』というテレビドラマが土曜の9時ぐらいにやっていて、プロ野球の選手が不慮の事故で死んだのが、IT系の社長の体を借りてプロ野球選手を目指すみたいなストーリーで、退院直後ぐらいになんとなく、それを見て、『自分もそういうふうに、今、逆境の中だけどできる』とか思ったんですね。俄然なんか闘志を燃やしたというか、今思えば…。」
「そこで、障害者就労支援、紹介会社のビジネスモデルを提供しに来た方がまた出てくるんです。その方が、息子さんも僕と同じ統合失調症で、独立されて精神障害の方を支援しようという話で、うちの作業所に来たみたいな話でした。
特例子会社があって、今思えば、かなりハードな特例子会社なんですけど、なんか受けてみたいなと思って、その特例子会社の話を聞いた時に、いや、そこはダメだみたいな話をされました。そこは、身体(障害)でもすごく能力がある人しか行かないところだみたいな話をされて、『あ、ダメですか、分かりました』と電話を切ろうとした時に、どうしても特例子会社でなければダメなのかと言われて、いえ、どうしてもというわけではないですけど、これこれしかじかという話をしたら、お前はずっと宅建(の資格試験)を受けているだろ?みたいな話になって。『はい』と。何度も受けていたんですけど、4回にもなるともう負け癖がついちゃって、なんて思って…。『だったら俺が知っている不動産管理会社が求人を出しているんだが、受けてみないか』という話になったんですよ。
不動産とか建築とかそういうものにすごく興味があって、小学生、中学生ぐらいまで。自然と、そういう建築系とかの仕事に就きたいなと思ったんですけど。大学の時に不動産で宅建とかの話も知って。で、不動産業界に、新卒の就職の時に、ちょっと受けてみようかと思ったんですけど、いろいろ話を聞くと、お前は無理とか脅されてすぐ諦めてしまったので、今度こそ諦めないみたいなことで、必死になりました。」
宅建(宅地建物取引主任者):不動産の売買や賃貸の仲介などに不可欠な資格