統合失調症と向き合う

体験者の声 医療者・支援者の声 家族の声 私たちの活動紹介 イベント おしらせ
A.T.さん
M.H.さん
1968年生まれ、44歳(収録時)。一人暮らしをしているが、支え合うパートナーがいる。大学卒業後、就職したが、23歳の時に誇大妄想が始まり、入院治療を受ける。就職して2年後に退職し、大学院(修士課程)に通う。その後、治療に専念するため就労したりしなかったりとなり、現在は2つの作業所に通いながら、ときに親の世話をするなどで日々の生活を送っている。パートナーの存在や、はんこを作る、小説を書く、絵を描くといった日々の暮らしの中で行っている事柄が支えになっているという。
movieImage
<< 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  >>
2精神科受診の経緯
Q.最初に精神科を受診した時の年齢と症状を教えてください

「23歳ですか。誇大妄想ですかね、あれはどうやら。エリツィン(ロシア連邦初代大統領)が呼んでいるとか、そんなことを言っていたと思いますよ。

(私は)とある会社の営業職をしていたのです。新入社員で雇われて、1年経つか経たないかだったので、まだ、長期的な研修の間だったのですが、そこの会社はあまり大きい会社ではないので、『全部ひと通りやってもらうから、3年かけて』と、そういうところだったんです。その半年ぐらいで半分ぐらいが済んで、『残り2年半ぐらい、あなたには営業の研修をしてもらうから』と言われて名古屋に配属されたんです。で、名古屋で発症しまして…。

あとは、突然、借り上げてもらっていた社宅からいなくなったんです。」

Q.社宅を出て、どこへ行かれたのですか

「北九州。なんて言ったらいいのでしょうか。九州に友人がいましてね。会いに行こうとして、会いに行けなかったんです。途中で道に迷って。そのうちにガソリンが尽きまして…。(行ったのは)車です。

ガソリンスタンドで、ちょっと揉め事になって。それで、その時にだいぶおかしかったので、『今、この辺におる、この辺におる』と、逐一家に電話をかけていたみたいです。このルートの動きからいうと、そろそろ北九州のこのあたりぐらいで油が尽きるはずであると。だから、(家族が)これは捜索願を出しておこうというので、出されてあったので、逮捕されずに保護という形になったらしいのですが。北九州で(です)。」

Q.保護されたあとはどうされましたか

「そのあと、家族と会社の方が迎えに来て、そのまま医療保護入院。」

医療保護入院:精神障害者で、入院を要すると精神保健指定医によって診断されたが、病状のため本人の同意が得られない場合、家族等(配偶者、親権者、扶養義務者・後見人・保佐人)の同意により、精神科病院の管理者は患者を精神科病院に入院させることができる制度。
<< 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  >>