「2回変わっています、(病気の)名前は。一番最初にかかった主治医(の時)は“心因反応”という病名がついたんです。それでしばらく、『そういう病名なんですか』というように聞いていたら、最終的に4つ目の病院にお世話になった時には、“統合失調症”ということになったんです。」
「いや、全然分かりませんでした。そこで初めて、その(病名の)元になった英語かドイツ語があるだろうと思ったので、調べてみたんですよ。」
「その時ですかね、母が言ったのですが、どんな国の人間でも1%はおると、統合失調症患者というのは。人口比率とか国、国情とかとまるっきり関係なしに1%なんだよと。(そう)いう話をして、『うーん、そうなんですか。じゃあ、私はその1%ですか』と思いまして。パーセンテージから言ったら、100のうちの1%だったら、たまたま私はそれなのかと思った程度ですかね。
(でも)なんとなく嫌でしたね、やっぱり。あまり良くない話も聞いたので。病名を理由に就職を断られたり、病名を理由にグループから外されるとか、そういう話は聞いたことがあるので。
実際に就職して、統合失調症になったので、結局、1年ほど休職してから辞めたんですね。そのあと、正規雇用じゃなくて非正規雇用の状態がずっと続くのですが、その間に3年ほど、また学校(に)行ったんです。(それは)なんて言ったらいいのかな、教員養成系大学院になるんですか、たぶん。学校でやっていた勉強をそのままもうちょっとしてみようかと思って。働く前にやっていたことをもうちょっとやってみようかと思いまして行ったのですが、不本意な目に遭ったんですね。」
「出ました。まあ、修了ですね。ほんとは修士なので2年なのですが、行っている最中に1年ほど病状が悪化して、休学をしているんです。真ん中に1年。その学校は3年しかいられないので、3年丸々のところで、どうにかこうにか…。あまり偉そうなことも言えないのですが、ちゃんとした業績も上げられていないので、もう、この道は無理だろうと思って…。
結果は…、ちゃんとした結果として出せていたのか出せなかったのか、はっきりしないような感じですけどね。」
「あれは、確か1995年の神戸の地震(阪神淡路大震災)の年にいたんです、学校に。ですから、会社を辞めたのが1994年ですので、経歴上はまるっきりブランクがないんですね。会社の在職期間が2年あって、そのあとに大学院に行っていることになっているんです。
そのあと(大学院卒業後)、病状が思わしくないので、治療に専念することにしたんです。それは、いわゆるニートですよね。ですから、25…、28(歳)ですか。非正規雇用をしたりしなかったり。もう、数えあげたらきりがないぐらいにいろいろしました。働かなかったり…。当然独立できないので、病院に通いながら、実家にいましたけれど。」