統合失調症と向き合う

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A.T.さん
M.H.さん
1968年生まれ、44歳(収録時)。一人暮らしをしているが、支え合うパートナーがいる。大学卒業後、就職したが、23歳の時に誇大妄想が始まり、入院治療を受ける。就職して2年後に退職し、大学院(修士課程)に通う。その後、治療に専念するため就労したりしなかったりとなり、現在は2つの作業所に通いながら、ときに親の世話をするなどで日々の生活を送っている。パートナーの存在や、はんこを作る、小説を書く、絵を描くといった日々の暮らしの中で行っている事柄が支えになっているという。
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4病名と認識
Q.自分の病名を知ったのはいつ頃ですか

「2回変わっています、(病気の)名前は。一番最初にかかった主治医(の時)は“心因反応”という病名がついたんです。それでしばらく、『そういう病名なんですか』というように聞いていたら、最終的に4つ目の病院にお世話になった時には、“統合失調症”ということになったんです。」

Q.統合失調症がどういう病気か知っていましたか

「いや、全然分かりませんでした。そこで初めて、その(病名の)元になった英語かドイツ語があるだろうと思ったので、調べてみたんですよ。」

Q.統合失調症と聞いた時の気持ちを教えてください

「その時ですかね、母が言ったのですが、どんな国の人間でも1%はおると、統合失調症患者というのは。人口比率とか国、国情とかとまるっきり関係なしに1%なんだよと。(そう)いう話をして、『うーん、そうなんですか。じゃあ、私はその1%ですか』と思いまして。パーセンテージから言ったら、100のうちの1%だったら、たまたま私はそれなのかと思った程度ですかね。

(でも)なんとなく嫌でしたね、やっぱり。あまり良くない話も聞いたので。病名を理由に就職を断られたり、病名を理由にグループから外されるとか、そういう話は聞いたことがあるので。

実際に就職して、統合失調症になったので、結局、1年ほど休職してから辞めたんですね。そのあと、正規雇用じゃなくて非正規雇用の状態がずっと続くのですが、その間に3年ほど、また学校(に)行ったんです。(それは)なんて言ったらいいのかな、教員養成系大学院になるんですか、たぶん。学校でやっていた勉強をそのままもうちょっとしてみようかと思って。働く前にやっていたことをもうちょっとやってみようかと思いまして行ったのですが、不本意な目に遭ったんですね。」

Q.大学院は修了できたのでしょうか

「出ました。まあ、修了ですね。ほんとは修士なので2年なのですが、行っている最中に1年ほど病状が悪化して、休学をしているんです。真ん中に1年。その学校は3年しかいられないので、3年丸々のところで、どうにかこうにか…。あまり偉そうなことも言えないのですが、ちゃんとした業績も上げられていないので、もう、この道は無理だろうと思って…。

結果は…、ちゃんとした結果として出せていたのか出せなかったのか、はっきりしないような感じですけどね。」

Q.大学院に行き始めたのは発症してどのぐらい経ってからですか

「あれは、確か1995年の神戸の地震(阪神淡路大震災)の年にいたんです、学校に。ですから、会社を辞めたのが1994年ですので、経歴上はまるっきりブランクがないんですね。会社の在職期間が2年あって、そのあとに大学院に行っていることになっているんです。

そのあと(大学院卒業後)、病状が思わしくないので、治療に専念することにしたんです。それは、いわゆるニートですよね。ですから、25…、28(歳)ですか。非正規雇用をしたりしなかったり。もう、数えあげたらきりがないぐらいにいろいろしました。働かなかったり…。当然独立できないので、病院に通いながら、実家にいましたけれど。」

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