「はい。A病院のデイケアで知り合った友人と、やはり長く縁が続いたらいいなと思っていて、今でも月に1度か2度、デイケアの友人がよく行くお店に行ったり、デイケアにも時間があれば顔を出したいと思っているのですが、まだまだ有給(休暇)も少ないので、そこまでできずにいます。
なぜそう思うのかというと、自分はそこのデイケアでメンバーだった時に、社会人として活躍していらっしゃるOBの方が、何回も訪れてくれて、『僕なら大丈夫だよ』みたいなことを言ってくれたので、そういう刺激が非常にためになったと思っているので、今度は自分がOBとして行って、そういう役割を果たせたらなと思っています。」
「私の友達のEさんという方がとてもおしゃれな方なのですが、その方に髪を格好良く整える方法とか、おしゃれな服を一緒に選んでもらったりして、おしゃれということを教えてもらったのが非常に感謝しています。服を一緒に買ってもらった日にはお礼に昼食をおごったりして、今でも感謝しています。
それまではおしゃれに全然無頓着でした。(高校が)男子校だったということもあって、周りからどう見られているのかとか、見た目をあまり気にしていませんでした。」
「私が最初、病気になってすぐの頃に、母と父が病気について、本などを読んで知識を身につけてくれたことが非常に役に立ちました。その頃は私も本が読めないほどに病気がひどかったので、親が学んでくれた知識を私に話してくれたことが、私の役にも立って非常にうれしかったです。」
「そういう経験は、まったくないと言えば嘘ですけれども、ただ、例えば『障害者だから、あれはできないだろう』とか、『これはできないだろう』とか勝手に思われたり、そう言われたりするのは、医師や看護師でなくても誰からであっても、イヤですね。
あと、私は自分自身を障害者だとはあまり思っていなくて。一時病気ではあったけれども、もちろん今薬は飲んでいますが、これは、まあ私の考えなのですが、健常者の方であっても、食べ物を食べなければ、いずれ餓死してしまいます。統合失調症の方も、もちろん食べ物を食べないと餓死するのですが、その中に薬が加わったというような感じを、私は持っていまして…。なので、別に健常者だからとか障害者だからという分け方ではなくて、なんて言うか、たいして変わらないんだよというように私は感じています。
だから、なぜ統合失調症だけが障害と呼ばれるのかが、私はあまり腑に落ちないといいますか、やっぱりこういうのは偏見の一種なのかなとは感じています。もちろん病気が発症した時は、一時的に社会活動が非常に困難なことになるということはあるのですが、そこがしっかりと回復して、薬をきっちり飲んでいる限り、障害はほとんど自分自身で感じないですし、また周りでも、社会で働いている方はいっぱいいるので、障害という呼び方もいずれ変わっていくのではないかなというふうに思っています。」