「コミュニケーションで困ったことは、やはり避難して、突然に新しい病院に変わったことが困りました。もちろん新しい先生です。避難してきたものですから、紹介状はありません。私と先生の間には情報はありません。お薬手帳だけありましたので、そこから話を広げていきました。現在は受診するたびに、先生にメモを渡したり、自分新聞のようなものを渡したり、(それ)から私の夢をお話ししたりしています。
(自分新聞では)毎日あったことを書いたりします。『今日はJPOP-VOICEのインタビューを受けました。』とか(笑い)。そういうことを書いたりします。(先生は)その場で見て、『おうおう、こういうことあったのねぇ』とか言ってくださって……。
そうですね、(先生には)まず主(ぬし)になることも話しました。それから、もっと体力をつけたいと思いまして、散歩をしたいというようなことも話しました。『いいですねぇ』なんては言ってくれるのですけど、『でもあんまり無理しちゃいけないよぉ』とか、言ってくれます。
そういうふうなやりとりがあったあとは、先生との距離も少しずつ近づいてきて、今は居心地が良くなっています。やはりお話を聞いてくださる先生は、私にとっては相性がいいです。」
「私は今一人暮らしなのですが、家族は3人います。両親と妹です。私が退院した時に、引きこもり状態になりました。14年間です。まあ、食っちゃ寝ぇの生活です。引きこもっている間、両親からは、『なに怠けてるんだ!』とか、『なんで仕事に行かないんだ!』ということは言われませんでした。それが良かったと思って、安心して引きこもり状態を続けることができました。
そうですね、(両親に)申し訳ないなぁという気持ちは、引きこもりの後半頃から出てきました。前半は全然そんなことは感じず、ほんとうに食っては寝て、寝ては食べての生活を繰り返していました。
両親は相馬市の仮設住宅に避難しています。二本松市からだと距離は車で2時間弱です。年に数回両親のところに会いに行きまして、近況を報告したりしています。手紙も書いて、あちらからも来て、電話もかけたりかけてもらったりして、ほどよい距離でいい関係になっているのではないかなぁと思っています。」