「いちばん辛かったのねぇ。やはり、入院している時でしょうかね。入院する仲間と一緒にお話しする機会があって、それはそれで楽しかったのですが。ただやはり入院している時には、なんていうのかな、先が見えないような気がして、辛かったですね。」
「親権は主人に持ってもらって、私は一人で実家に行きました。息子は主人に育ててもらって、もう成人しています。
(会う機会は)それがないのですよね。あちらも、ちょっと様子を伺ったのですけど、お母さんとは小さい頃別れたばかりだから、お母さんの必要性を感じていないなんて言われてしまって。(そう)知人から聞かされたものですから、『あ、そんなもんなんだぁ』と思って……。ま、(息子が)会いたくなったら、私も会いたいなぁと思って、待っているところです。」
「あります。やはり統合失調症にならなければ、今までの仕事を続けていたかなぁ。そして、離婚もしないで、まあ息子と主人と一緒に生活できていたかなぁなんて、考えることはありますね。
ま、考えてもしかたないなぁなんて思いまして……。病気になってからはまた、それなりの生活…、コーヒータイムを中心に回っているから、これはこれで私の生活なんだなぁと思っています。」
「ありましたね。というか、そのギャップに苦しんだのは、自分が退院してからあとのことですね。退院した頃は、そんな気づきもなく、もう一日一日を生きるので精一杯だったものですから、そこまでは気は遣ってはいませんでした。
(学校を)辞めてから、やはり引きこもり生活に入って、後半ぐらいからでしょうかね。どういう感じだろうな…。何か、引きこもり生活の後半を続けていることが、夢のような感じ、現実ではないような感じがしたこともありましたね。
何かふと現実に向き合った瞬間かもしれません。やはり、なんと言っても、コーヒータイムに行き始めてから、病気とは向き合った感じがします。
そういう視点で考えてみたことがなかったものですから、そのギャップとかを。今日はじめて、『ああ、そうだなぁ、そう言えばそうだなぁ』と思いました。
夢を見るのです。教師時代の夢で、子ども達がいて、黒板があって、私が子ども達に何かしゃべっている夢なのです。で、ふと朝起きてみると、『あれ、今のはなんだったんだ。あ、夢だぁ』と思った感じですね。引きこもりの時。
引きこもり状態の時は(思いが)至らなかったと思いますね。でも今考えると、ああ、あえて考えていなかったのかなぁと思うところもありますね。そういうふうに夢にまで出てきたということは、やはり意識はしていたのかなぁと、あとから考えると思います。」
「そうですね、確かに。今も(病気を)受け入れているのかどうかは分からないのですが。ただ、コーヒータイム(作業所)に行く前の引きこもり生活の時は、ふつふつとしていましたね。受け入れていませんでしたね。
やはりいろいろな所に連れていってもらって、仕事も教えてもらって、仲間とも話をすることができるようになったし、情報もいろいろ集まってきたし、勉強会にも行ったし。そういう感じで、受け入れることができるようになりましたね。
第二の人生というか、コーヒータイムで、また新たな私というのを発揮していこうというふうにはなりましたね。
息子と会えないこともふつふつと感じていたのですけど、コーヒータイムに行き始めてからは、息子のことはちょっと脇のほうに置いといて、もう息子は息子、私は私で生きていくからと、割と割り切ることができるようになりました。
やはり周りの人ですね。どこでどんなきっかけが…、具体的なきっかけかというのは分からないのですけど、毎日毎日やはり仲間と話をしていたり、所長と話をしていたり、どこかに連れていってもらったり、勉強会をやったりすることが大きいですね。」