「21歳の頃に、特に警察に追われているとか、いろいろ……、音が聞こえるといった、いわゆる陽性症状が出てきました。それが主要な症状だったと思います。私は、急にというか、悪くなった期間がたぶん1〜2週間ぐらいだったと思います。
特に大学3年生の終わりの時期で、就職活動に向けて自己分析を始めていて、そこで、自分の今までの悩みとかを掘り出していっていたのです。いろいろ自己分析をしていく中で、悩んでいたと思います。それで、その当時つき合っていた彼女と遠距離恋愛になるということも含めて、いろんな不安は大きかったのだと思います。
非常に悪くなって、鹿児島に行って帰って来たらですね、非常に陽性症状がきつくて、友人達も気づいて、家に泊まり込みで、寝ずの番をしてくれて、翌朝、起きた時に、『非常に危険な状態です。私も同じような経験があります』ということで、うちの父に連絡をしてくれました。そこで、普段、父は駆けつけるような人間ではないのです。どちらかというと、『自分のことは自分でしなさい、二十歳超えたら』という感じなのですけれども、その時は危機を察知して、来てくれました。
で、実家に帰って、2日ぐらいは眠れず、ほぼ、ごはんも入らずということで、その2日目の夜中に、大きな地方の病院に、夜間、運び込まれて、初診が医療保護入院という形になりました。父と母が車で運び込んでくれました。
その時、たぶんベッドは空いていなかったと思うのですよね。普段、大きな病院なので、病床に空きはないことがほとんどなので、少なくとも1か月待ちとかですね。それで、運ばれた時にうちの父と母が横についていて、私は、ほぼほぼ、記憶はないです。
そこで、当時のドクター、たぶん診てくれたのは、病棟長の人だったみたいですけど……『治りたいか?』と聞いて、『治したいです』と(私が)言ったみたいです。あとでうちの父と母から聞きました。それで、『じゃあ、入院しようか』ということで、入院になって。たしかベッドが空いていなかったのに、保護室を無理矢理空けてくれたみたいで、奇跡的に入院できたのではないかなと思っています。」