「はい。大学はうちの父と母は、ゼミの先生と話し合って、1年休学して復学して、卒論書いて卒業してという流れになります。
就職活動をして、出版社で働き始めました。出版社といっても、大きいところではなくて、高校の問題集とか、教科書は作っていなかったですけど、そういうところで営業と編集をしていました。1年半ぐらいですね。
その時は、(1年半で)辞めた理由としては、高速道路でバースト(タイヤの破裂)事故を2回連続で起こしたので。それが、どう考えてもタイヤの不整備ですね。1回目のバースト事故のあと、(タイヤを)交換させてくださいと言ったのですけど、そこでは1本交換するだけにして、それで2回目は、バースト事故したあとに、横回転に一回転半スピンして、前にドーンとぶつかって。それで『もう辞める』と言って辞めました。
病状もあったかなぁと思います。私が、まあ、衝動性とかもあるみたいなので、そういうところもあるのかなぁとは思っています。今思うと、ですね。
(仕事は)いろいろしています。ペースメーカーのディーラーで、オペ(手術に)入ったり、あとは塾で働いたり、フランクミュラー(時計会社)で契約社員(派遣社員)などもしていました。あとは……、その後に、『何で一生ごはんを食べていこうかぁ』と考えた時に、大学に、営業で出入りしていたことがあったので、そこで、デイケアのスタッフに、『精神保健福祉士の資格はどうやって取れるんですか?』と聞いた憶えがあって。私が『大学卒なので、1年半通信で行けばいいよ』ということを言っていただいたので、それで、ふと思い立って行ってみました。」
「それ(資格)を取って、勉強しながら働いていたので、取りあえず試験が受かったあとは、転職活動をして、ある就労移行支援事業所で働きました。精神保健福祉士として。
あとは、新しく立ち上がる会社だったのですね、そこで働いて、そのあとは、別のセンターの立ち上げに関わって管理者をしていました。そこは時給でした。31(歳)だったと思います。そこも、就労移行支援事業所を辞めることになったあとに体調が悪くなって、いろいろあって入院することになりました。
2回目(入院)は、中途半端に精神保健福祉士を持っているもので、自分が、『出たい』と言ったら出られると分かっているわけです。で、1週間で退院したのですね。これはなんかだめだなと思って。3回目の病院は、妻と一緒に行って、『すいません、医療保護入院にしてください』と言って。それも、だいぶ、『えっ』と変な顔をされましたけど。」