統合失調症と向き合う

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瀬戸崇史さん
瀬戸崇史さん
(せと たかふみ)
1972年生まれの44歳(収録時)。26歳の時に眠れなくなり、心療内科を受診し、その後精神科を受診する。入院の経験は5〜6回。現在は、就労継続支援B型事業所で支援員として、週5日フルタイムで働いている。一人暮らし。以前は障害年金を受給していたが、現在は無い。
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4退院後の状況
Q.退院後はどのように過ごしていましたか

「実家に戻りましたね。通院はしていたのですけれども、なんかほぼほぼ、何も気力が湧かないような状況で、引きこもりに近い生活を送っていましたね。ほぼ一日寝たきりというか、誰とも口を交わさないし、人とも会わないというか。その時は人と会うのが怖いぐらいの状況だったので、そんなこと(就労)は考えられなかったですね。

入院中に、当時就いていた仕事は退職という形で、その辺の手続きは、親がやったみたいですけれども。

入院はトータル5〜6回していますね。初めての入院が30(歳)ぐらいですかね。もうちょっと若かったかもしれないですね、27〜28(歳)だったかと思います。クリニックにかかっていて、薬をきちんと飲んでいなかった時期というのはだいたいそのくらいで、会社が倒産したのが、28〜29(歳)だったと思います。

36(歳)ぐらいまでですかね、そのくらいにだいたい5〜6回入院しています。で、その間は、入院すると保護室も何度か入っていましたね。

その(最初の)あとは、32か33(歳)の時に1回、入院しています。退院したあとしばらく引きこもりみたいな生活をしつつも、病院は移ったのですね。その入院した病院っていうのが地元の実家からちょっと遠い病院だったので、地元の病院に移って、そこで治療を受けていたのです。

受診はしていたのですけど、受診していくうちに、先生が『そろそろデイケアでも行ってみない?』と言って、デイケアに約1年間通うのですよ。で、1年通ったら、だいぶ元気にはなったのです。で、『もう働かなきゃ』と思って、また働き始めたのですよ、自分の病気を隠して。

働いて、2年ぐらい続いたのですね。でも途中やはり息切れしてしまって。で、また症状が出てきて、その時もまたリストカットが始まったり、お酒をいっぱい飲むようになってしまったり……。そのようなことがあって、休息入院をその職に就いている間に2回、3回しているのです。で、結局その仕事もそんな感じでダメになって、退職してしまいましたね。」

Q.リストカットをしてしまうのはなぜ?

「痛めつけたかった。たぶん、自己否定感がすごく強かったので。まあ、リストカットでは死なないということは分かっていたのですけど、自分が嫌いだったのです。『こんな自分じゃダメだ』みたいなところが強かったですね。ほんと自分が大嫌いだったので。(他者への攻撃は?)それはなかったです。このどうにもならない気持ちをなんとかしたいというところですかね。」

Q.受診したクリニックや病院の数を教えてください

「病院、クリニックはほんとにドクターショッピングとよく言われるぐらい、あちらこちらに行っています。1回・2回行ってやめた病院も、多数ありますので、10か所ぐらい行っていますね。

今は、地元の実家の近くの病院に、15年近くかかっているのですかね。最初の入院がちょっと離れた所だと言いましたよね。それで、その後かかった病院は、実家の近くの病院なのですけれども、そこにずっと、今日までお世話になっています。それ(以降)はないです。入院につながる前に、クリニックを転々としていて……。」

Q.受診先を変えるのはなぜでしょうか

「『この薬飲んでくださいね』といろいろ薬を出されるのですけど、なんか、この薬を飲んでもよく効いている感じがしないというか、症状が良くなる感じがしないし。かといって他の薬を飲むと、今度は体がだるくなるとか、全然自分に合う気がしなかったのですね。

どこの病院も、こんなことを言うとその先生に失礼かも知れないですけど、こういう病気だからとか、こういう状態ですねということをあまり説明してくれなかったのですね。『じゃ、この薬出しましょうね』みたいな感じだったので。ま、きちんと服薬していなかった僕も悪いのですけど、そこで向き合えなかったというのも、ちょっと自分の反省ではあるのですけどね。そんな感じなので、ちょっと薬が合わないと、『もうあそこの病院は嫌だ』と言って、すぐ変えてしまっていたのですね。」

Q.入院をしなくても済むようになったのはなぜだと思いますか

「自分の中で、デイケアからつながった就労先というのが、福祉の仕事だったのですね。知的障害者の支援の仕事に就いたのです。で、その仕事も途中で調子を崩してしまったりして入院を何度かしていたのですけれども、その経験の中で、福祉職をやってみたいなぁと思ったのですね。

そこで、福祉職に就くには、例えば社会福祉士とか精神保健福祉士という資格があるということを知って、何回目かの入院の時に。その福祉職でも、全然未経験で未知、知らない分野に飛び込んだものだから、最初のうちは良かったのですけど、ある時、壁にぶつかったのですね。自分は、全然知らないから支援の仕方も分からないとか、仕事の上で壁にぶつかって、そこで調子を崩してしまった部分もあったと思うのです。

その時に、じゃあ、1回、きちんと資格を取って、勉強して、自分の根っこではないですけど、そういうのを作った上で仕事をしようみたいな思いがあったのです。その中で、やはりその時はもう、『自分も病気なんだ』というの(意識)があったので、その時点では統合失調症だと知らされていましたから。作業所は通わなかったです。デイケアに行って、すぐに就労した感じですね。」

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