統合失調症と向き合う

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糸川昌成さん
糸川昌成さん
(いとかわ まさなり)
精神科医・分子生物学者。東京都医学総合研究所に精神行動医学研究分野「統合失調症・うつ病プロジェクト」プロジェクトリーダーとして勤務している。1961年(昭和36年)生まれ。母親が病気体験者。分子生物学者として研究に従事しており、週に1度精神科病院で診療を行っている。妻、息子2人、娘1人の5人暮らし。著書に「臨床家がなぜ研究をするのか—精神科医が研究の足跡を振り返るとき—」「統合失調症が秘密の扉をあけるまで」(いずれも星和書店)がある。
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6お墓参り
Q.お母さん方のご家族とのお墓参りは実現しましたか

「念願だった母の墓参りを、2月1日、祥月命日だったので、することになりました。母の姉と母のいとこを連れて、3人で母の墓参りをしました。非常に、『ああやっと、母は報われたかなあ』という気がいたしました。

で、たくさん母の写真をいただいて帰って来ました。先ほど話しましたように、母が生まれてすぐ実母を亡くして、そして実母を訪ねて、実母の親戚を訪ねて、そして上京し、愛情を求めて…。でも結局…父の6人の兄弟姉妹が6軒並んでる家で、窮屈な思いをしながら、そういう病気になって……。そういうことを知って、帰り道ですね、母がかわいそうでかわいそうで仕方ありませんでした。

ところがですね、いただいた写真を埼玉の家へ持ち帰って、妻と次男と娘と、母の写真を見ながらですね、母の話をしていたのです。そうしたら、母の悲しさが、癒えていくのですね。

『なんでだろう』と思ったら、やっと分かったのですが、長く糸川家では語ってはいけない存在だった母が、これだけみんなに語られているのですね。昼間は母のいとこと母の姉と私と3人で語ったのです、写真を見ながら。で、帰って来て今度は、息子夫婦と孫達が母のことを語っているわけですよ。

あ、ようやく、先ほど申し上げたように、症状の意味が理解され、母の文脈が理解され、母が愛を求めたその物語が完結することが、息子夫婦や、いとこや姉を通じて叶ってですね、母は14年前に病院で亡くなっていったのですが、ようやく、その母のことを語り合ったあの日、魂も病院から家へ帰って来たという感じがしました。

2月1日、母の墓参りがあって、そして母の魂を復権したということがありました…。」

Q.伯母さん達から言われた心に残った言葉は?

「母方の伯母達と話していると、私が似ていると言うのです、母に。これは生まれて初めてのことで。自分の中で父に似ている部分というのはたくさん自分で気づいていますし、顔もよく似ているのです。ところが母の記憶がない以上、自分が母に似ているとは、想像もしていなかったと。ところがその母方の伯母達が、『みゆきちゃんに似ている、似ている』と言われると、すごく嬉しいのです。

なぜ嬉しいのかなと思って考えたら、つまり糸川家では、母に似るというのは忌まわしい言葉なのですね。精神の病を受け継いでいるということに等しいので、お前は決して母親に似ていないと、父親そっくりだということで、私を慰めていたはずなのですが、母の親戚と(から)、『母に似ている、似ている』と言われるたびに僕は嬉しくて、母の尊厳が回復していくのですね。

母に似るということは、非常にその、愛情を求めて行動力を持って北海道から東京へ出てきたり、母の実母の親戚を訪ねたりとか、その行動力というのは、まさに私が研究する上で、患者さんのDNAを求めて、日本全国、注射器とクーラーボックスを抱えて駆け回っている、まさに今の、現在の、探し求めるもののためにはどこへでも行ったという、この姿勢こそ、母にそっくりなのです。

それをきっかけに、僕の中に、母に似た部分がたくさん自分でも気づくのです。いつもこの研究所から、隣の都立病院へ週1回行くのですが、お稲荷さんがあるのです。なぜかいつも気になって、僕はその赤いお稲荷さんを拝んでから病院に行くのですが、ある時、そのお稲荷さんを見ている時にフッと『あ、母がお稲荷さんを見ている』という気がしたのです。で、自分の中に、すごく母から受け継いだものに気づかされたので、今ではどこへ行っても何を見ても、母と一緒に見ているような気がするのです。

そうやって、空白だった母が、時系列を持った生きた人間として、僕の中で再構成されて、そして僕自身の一部が、母を受け継いでいるということが分かって、非常に、僕自身が回復したというのか…。僕は自分が病んでいると思ったことはないのですが、ただ、そういう、強い秘密を抱えた一族の中で育ったということが、あるいは、精神の病を持った母に生きているうちに会わなかったという後悔が、自傷的とも言えるような研究生活を自分に指示したとすれば、そこから、非常に健康な生活に戻ったのは、母の物語を紡ぎ直すことで完成し得たからかなと思っているわけです。」

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