統合失調症と向き合う

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糸川昌成さん
糸川昌成さん
(いとかわ まさなり)
精神科医・分子生物学者。東京都医学総合研究所に精神行動医学研究分野「統合失調症・うつ病プロジェクト」プロジェクトリーダーとして勤務している。1961年(昭和36年)生まれ。母親が病気体験者。分子生物学者として研究に従事しており、週に1度精神科病院で診療を行っている。妻、息子2人、娘1人の5人暮らし。著書に「臨床家がなぜ研究をするのか—精神科医が研究の足跡を振り返るとき—」「統合失調症が秘密の扉をあけるまで」(いずれも星和書店)がある。
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9その後の家族の変化
Q.お母さんの体験を公表後、ご家族に変化はありましたか

「母の物語を妻へ伝えまして、妻なりに理解したような気がします。だからこそ、母の写真を交えて、団欒に応じてくれたのだろうと思います。

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すごく不思議なことがありました。母方の伯母からいただいてきた写真はたくさんあったのですが、それを見ていてですね、ポロっと1枚出た写真が、実はこれなのです。北海道で撮った母がにこやかに笑っている写真が、ポロっと出てきたのです。

これを見た時に、先ほど申し上げたように、母が喜んでいると思ったのです。語られることのなかった母が、息子夫婦と孫達の間で語られて、この写真がポロっと出てきたのです。僕、この写真が好きで、実は引き伸ばして、額に入れて、私の仕事場の机の上に置いてあるのです。いつも、これが、まさに母が、魂が治った瞬間の顔なのですね。

長く薬で脳だけが治っていた母が、魂が救済された時に、こういう笑顔をしている。笑い声が聞こえてくるような笑顔をしている。で、妻も手に取ってこの写真を見て、非常にいい写真だと言いました。

まさに妻とこの写真を挟んで母の話をしましたので、100%まだ理解したとは思いませんが、まだ抵抗感が残るものの、まあ…母を救おうとする夫の姿をある程度理解し、またその秘密の連鎖を断ち切ろうということが、娘を守ることになるんだという僕の主張に耳を傾けられるようには、なったような気がします。」

Q.お子さんはいかがですか

「実は、まだ娘には早すぎて言っていないのです。7歳ですので。ただ、長男と次男には、統合失調症という病気があるということを言っています。実は、長男は医学部志望で、まだ精神科医になるかどうかは分かりませんが、彼には詳しく統合失調症というのは脳の疾患であり、僕の研究内容まで含めて、長男には話をしています。

次男には、精神には病があって、ま、うつ病とは違う、非常に深刻な病気があるのだけれども、適切な治療で回復できる病気であると。まして最近、私はこの魂の回復ということに非常に、2月1日(2014年)以来気づいていますので、そういう話も長男と次男にはしています。」

Q.お父さんには、お母さんのことを公表したことを話されましたか

「実はしようとしたのですが、母の姉に止められました。父は、十分苦しまれたと。で、今、がんで闘っている時に、その苦しみに追い討ちをかけるようなことはしないほうがいいと。ただ、なんとなく、(私が)出版した本は父に送っているので、私が、最近母のことを公にしているなというのは、父は知っていますね。ただ、昭和3年生まれの頑固親父ですから、母のことを腹を割って話すということにはなっていないのですが。

ただ、なんというのかな、父も母も分かっているような気がするのですね。特に母については、父の最期を分かっていたのではないかなという気がしています。2月1日(2014年)に墓参りをして、母の魂が救済され、2月5日に父に食道がんが見つかっています。ああ、母は父の最期を知っていて、私に、母が14年前に亡くなった病院に行かせたのだなあと。そしてそこに記載されていた知らない電話番号に僕に電話をさせ、そして、母が外泊していた家を訪ねさせて、母の姉と引き合わせ、そして母の物語を紡ぎ直して、父が生きている間に母を救済させた。そういった過程を、父は薄々感じ取っているのではないかなと。生きている間にそういうことを感じ取ってほしいからこそ、このタイミングで、母は僕にこういう行動を取らせたのではないかなと、今ではそう思っています。

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これはもしかすると、僕が紡いでいる、僕自身の物語なのかもしれません。なぜかと言うと、こういう物語の中を僕が生きた時に、最も僕が健康になれるからなのです。で、こういう物語を描き得なかった時には、まさに自傷行為に近い研究活動をしていたわけです。

長男が大学受験で、午前2時頃に、これから寝ようかなと思う時期に、僕は2時半に起きて研究所へ出勤するわけです。その後姿を見ている息子が、非常に自分を痛めつけるような仕事の仕方をしている父親を、心配そうに見ていました。まさに、物語が描き切れない苦しみでもがくと、それこそ、いわゆる問題行動ですね、自傷行為のようなことをするのですが、そこには、母に対する贖罪(しょくざい)とか、そういった意味が隠されているわけで、そこに手を添えて癒されると、これほど普通の生活に戻るわけなのですね。

だからもうここ数年で、医療というのは何かということを、非常に思い知りました。最後の最後の土壇場で、父と母が医療とはどうあるべきかを教えてくれたので、今では感謝しています。」

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