統合失調症と向き合う

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糸川昌成さん
糸川昌成さん
(いとかわ まさなり)
精神科医・分子生物学者。東京都医学総合研究所に精神行動医学研究分野「統合失調症・うつ病プロジェクト」プロジェクトリーダーとして勤務している。1961年(昭和36年)生まれ。母親が病気体験者。分子生物学者として研究に従事しており、週に1度精神科病院で診療を行っている。妻、息子2人、娘1人の5人暮らし。著書に「臨床家がなぜ研究をするのか—精神科医が研究の足跡を振り返るとき—」「統合失調症が秘密の扉をあけるまで」(いずれも星和書店)がある。
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7父への想い
Q.お父さんに病気が見つかったそうですが

「2月1日の墓参りが終わりまして2月5日に、父に食道がんが見つかりました。前から物が飲み込みにくいとは言っていたのですが…。主治医から紹介されたクリニックで内視鏡を飲んだところ、1pの食道内腔に6pの腫瘍が見つかって、しかも出血をしているので家へ帰せないということで、都内の病院へ緊急搬送されて緊急入院になりました。

ところが、その病院で父は非常に荒れまして…。客観的には認知症のように見えるのですが『帰る、帰る』と言ってきかないのです。食道がんだから帰せないんだと何度言っても、『確定申告があるから帰る』と言うのです。外科の担当医も本当に困ってしまって…。だいぶ認知症があるみたいなので、手足を拘束して縛っていいかと言われたので、仕方ないですと、私は、拘束同意書にサインをしました。

で、父は、入院した日、そういう荒れた状態だったのですが、さかんに僕に、40年来ある大学病院の内科医に診てもらっていたのですが、その先生が、俺がここに入院していることを知らないはずだと言うのです。だから、いやいや、お父さん、医者には必ず紹介状には返信状というのをつけて返すから、もう、内視鏡のクリニックへの紹介状には内視鏡の先生が、『食道がんを発見したので、この都内の外科の病院に救急搬送しました』とお返事が行っているよ、と言うけれど、『絶対そんなことない』と言ってきかないのです。

ふっと気づいたのが…、父は、その40年来診てもらっている内科の医者、ま、有名な大学病院の内科の医者だったのですが、その40年診てもらっている患者ということが、父の誇りであり、何か拠って立つところがあったのですね。だから死ぬ時はその先生のいる大学病院で死にたいと思っていたのだろうと、その時気づいたのです。

救急搬送された外科の先生達は、同業者の医者として見ても、非常に立派な先生達で、認知症としか思えない状態の悪さで騒ぎ立てる父を辛抱強く、外科の先生達は診てくれていましたが、私は、父も、それから親類も席を外してもらって、その担当医と二人っきりになってですね、『実は、40年来診てもらっている内科の医者がいて、あの大学病院で死にたいと思っているらしいんだ』と。先生達の治療で、最上の治療を受けられるのは分かるのだけれども、なんとか、転院させてもらえないだろうかとお願いしたのです。そしたら、2つ返事で、目の前にある電話を取ってその病院へ電話をしてくれて、外来の予約も入れてくれました。」

Q.40年来の病院に予約したあとは?

「なにせ、1cmの食道内腔に6cmの腫瘍がありますから、水1滴も飲めない。食事はもちろん食べられないので、点滴で命をつないでいるわけです。ところが父は確定申告をやると言ってきかず、せっかく予約してくれた外来予約日の4日前に退院してしまったのです。

外科の担当医が、『糸川さん、確定申告と命とどっちが大事なんだ』と言ったら、(父は)『確定申告だ』と答えたのです。ま、昭和3年生まれですので、そういう戦前の男性にとって、税金を滞納するということは考えられなかったのか。あるいは、銀行家の一族として生きた85年の人生は、やっぱり経済人として、確定申告もしないでは死ねないと思ったのか、分かりませんが…。

そこで母と同じように、父には生きたい物語があるんだということに気づかされました。父には、じゃあ確定申告をさせてあげようと。それから、父が望む40年来診てもらっていた病院へ入院させて、最期を遂げさせようと、父の物語を完成させる作業に僕も手を貸すことにしました。で、当然4日間、飲まず食わずですから、衰弱してしまいますので、往診医の指定を介護保険でしようとしたのですが、父が頑として拒否するのです。

とにかく老いては子に従ってくれよと思ったのですが、仕方なしに、私が点滴を持って父の自宅へ通って、父に点滴をしました。で、なんとか4日間、命をつないで、父の念願の40年来診てもらっていた大学病院に入院させることが叶いました。

諸検査が終わりまして、外科の医者に呼ばれて、もちろん手術はできない、85歳、6cm、幸い転移はなかったけれども、抗がん剤にも耐えられないだろうから、放射線治療でいきましょうという説明でした。ところがですね、父はここでも自説を通しまして、頑として抗がん剤を使ってくれと言うのです。ご本人がそれだけ言うのなら、白血球が減って感染症を起こしたりたいへんなリスクなのだけれどということで、またそれにも僕、承諾書にサインをさせられましたけれども。

父は、抗がん剤の治療が始まりました。抗がん剤は1週間打って、2週休んでまた1週間打って、その間放射線を6週間浴びるのですが…、今日で3週間目です。吐き気も、毛髪が抜け落ちるということもなく、まったく副作用が出ないのです。あるいは出ているのかもしれないのだけれども、父は全然元気なのですね。

『ああー』と、その時思いました。確定申告を済ませ、念願の病院に入り、往診医を拒否したお陰で息子に点滴をしてもらい、そして治療方針も自分の自説を通して抗がん剤(治療)を受ける。もう、これだけ、彼の物語が完結していると、非常に強いんですね。副作用が出ているのかもしれないのだけど、父は嬉々としていまして、前の病院であれほど認知症だと思ったのが、ちっとも認知症が出ないのです。

話は、ずれるかもしれませんが、老人医療の中で、かなり、拘束とかしなければならない場合に出くわすのですけれども、ほんとうにマンパワーがいると思うのですが、私の場合、父につきっきりになれはしませんでしたけれども、かなり時間を割いたお陰で、父の物語に沿う形で治療を進行したら、今の病院でも、拘束などまったく必要がないし、嬉々として放射線を受けて、喜んで抗がん剤の点滴を受けているのです。」

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