「確定診断が出たのが7月6日で、会社のそばの病院でした。そのときには相方と2人で一緒に行きました。さすがに聞いたとき崩れるかもしれないから。あと自分の口からもう一度言うというのが、ちょっとしんどいなと思ったのです。いっぺんに聞いちゃったほうが早いじゃないですか。それでちょっと一緒に来てもらったのですよね。彼のほうもかなり忙しかったので、朝の時間を空けるのが相当たいへんだったのですが、なんとか時間を作ってくれて、一緒に聞きました。
最初に『残念ながら、悪性新生物です』と先生に言われました。『アクセイシンセイブツってなんだろう』と思って。なにかエイリアンみたいな名前なので、『それなんですか?』と言うと、『がんです』と言われました。そのとき『えぇっ』というのと、半分は『あ、やっぱりな…』というのと両方に、心が2つに分かれて行ってしまった感じです。」
「エコーの結果から、今わかっている状態を知らされました。手術の話になったときに、私はそこの病院では入院して手術を受けるつもりがあまりなかったので、『実は転院したいのです』と伝えました。その先はもうあまり聞かずに『紹介状のほうを書いてください』とすぐにお願いしました。
紹介状というのは、お医者さんどうしが本当に友達でないと紹介してくれないと思っていたのです。だから本当に(紹介状を書いてくださいとお願いしても)いいのかなと思いましたが、インターネットで調べると『患者さんの権利だから紹介状は書いてもらえばよい』と書いてあったので、病院の名前と先生の名前をプリントアウトして『ここで私は手術を受けようと思う』と先生に相談をして、診断書を書いてもらいました。」
「その日は、病理の結果と大きなレントゲンの写真を全部一式渡されて病院を出て、山手線に乗ってひとまず出社をしました。
職場には『結果が出ました』と報告をして、そのあとすぐ社内会議です。そこでまず自分のがんが確定して、おそらく手術が必要であること、手術の時期がいつぐらいになること、術後どうなるのかということをすべて伝えました。そして病理の結果が出ないとわからないけれど、とりあえず1ヵ月はたぶん休むことにならざるをえないこと、その1ヵ月間をどうするかという引継ぎの話をどんどんとしていきました。
それが終わって家に帰って、帰ったらもう肩の荷が下りたというか、なにかちょっとほっとしました。隣りに住んでいる義理の母にも言わなければと思い、行って『いや、こういうことになったよ』と。私は下町のほうに住んでいるので周りに親戚が多く、皆が私の話を聞いてくれたのです。それがすごくよかったですね。なにか言わないと我慢ができなかったので。」