「2日後に病院に行きました。まず自分は手術日がいつになるのか、仕事の引継ぎがあるのでいちばん気になったのです。まず最初に外来で呼ばれて、行って中に入って、もう『クラス5のがん』という結果が出ているので、先生とはそこからの話になったのです。
外来は通常、いっぱい患者さんの予約が入っていますよね。『こういう重要な話を10分、30分ではできない。家が近いからもう一度来てくれないか』と先生に言われて、午後にもう一度、義理の妹と一緒に行きました。2時間半くらい説明をすべて受けて、それが自分にとっては『あ、この先生についていこう』という安心材料になりました。
最初に『作戦会議をしないとだめだ』と言われたのです。まず全身のどこかに飛んでいるかどうか、あとアレルギーを持っているか、そういうことをちゃんと調べないといけない。もう自分は『切りたい、切りたい』だったのですが、ひとまず『いろいろな検査をこの病院で受けてくれ』と言うので、もう一度またCTとかエコーとか、術前に全部受けなおしました。
説明は患者さんに応じてきめ細かくやってくださっている先生でした。そのとき父も丁度がんになっていて、入院待ちをしていたのです。そんなこともあり、ものすごくストレスを抱えてしまっていたのです。母にもどう話をしようかすごく考えましたので、そういう話も先生にすると、『すごいストレスたまっちゃってるでしょ』と言われて、家族のことからすべて聞いてくれたという状態です。とても感謝しています。」
「母には、姉とシナリオを作って言いに行くことにしました。誰がどういう役目をするか、しっかり役割分担を決めて、『お母さん、今日、お話がある。私の話なのです」と、父が入院している病院のフリールームみたいなところで言いました。
母は叔母のこともずっと最期まで看取っていて、薬剤師なので、医療にはわりと通じている人なのです。自分の娘もああなるのだという記憶がすべて蘇ってきちゃったのですよね。私とたぶん同じだと思うのですけど。それでかなり錯乱状態まで行って、ただ『もう現実だから、私も受け入れなくてはいけない。(母も)受け入れてほしい』ということを言いました。CTとか、すでにいろんな検査を受けていたので、腕に注射のあとがいっぱいあり、それを見て母も『本当に娘はそうなんだ』と受け入れたという感じです。それまでは泣き崩れるだけで、私が一生懸命『いや、こうだから』と言っても、もう何も聞けない状態でした。
今から思うと、40代、50代の働き盛りでがんになると、親のことも心配しなければいけないし、仕事のことも心配しなければいけない。うちは子供がいないのですが、子供がいればお子さんのことも心配しなければいけない。社会的に領域、関係者がとても多い世代なので、課題もすごくたくさんあるし、影響を受ける人もいっぱいいるのだなとそのときに思いました。」