がんと向き合う

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河村 裕美さん
河村 裕美さん
(かわむら・ひろみ)
熱海市出身。静岡県庁勤務。1999年(32歳)に結婚。結婚して1週間後に子宮頸がんを宣告され、手術を受ける。闘病中の経験から、女性特有のがんサポートグループ「オレンジティ」を設立。子宮頸がんの啓発活動ティール&ホワイトリボンキャンペーン理事長。著書に『グローバルマザー』(2012年 静岡新聞社刊)。
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6病気になって気がついたこと

「今考えると、32歳以前、病気になる前はものすごく傲慢だったなと思うのと、弱い人に対して全然思いやる気持ちがなかったなと思います。病気をして自分が困っている立場になってはじめて、困っている人たちがいるということを知り、とにかくもっと他者に対して優しくしなければという気持ちになりました。電車に乗って、(つらくて)立っていられず席を譲ってもらいたいことがありますが、身体は普通に見えるので、しゃがみこんだりしない限り席は譲ってもらえません。昔は本当に自分はなんでもできるつもりでいましたし、自分を中心に(世の中が)回っているぐらいに思って生きていたなと思います。今考えると恐ろしいのですが、自分は病気にならないと思って生きていたのですね。自分はがんにならないぐらいに思っていました。明確に思っていたわけではないですが、がんになるまでは、がんに関する情報が(目の前に)来たとしても、自分には関係ないと切っていたわけです。何か非常に傲慢な人間だったな、と思います。

病気をしてよかったことは、やはりそういったことに対して目が向くようになり、もっと多くの方たちにこれを知らせていかなければいけないと思うようになったことです。昔の自分ではとても考えられません。世の中に対してもっと斜に構えていたので、『そんなことする人バカじゃない?』くらいに思っていたので、それが非常にビックリするほど変わりました。

それと、食べ物がよくなりました。とりあえず食べ物は無添加とか、そういうものが欲しくなってしまうのです。発がん性物質がある、着色料があるというものは怖くてとても買えないです。またがんになるということがやはり怖いのですよね。気をつけているのはそれぐらいです。」

●思い立ったらすぐ行動

「やろうと思ったことはすぐにやるようになりました。32歳のときにがんになって、もしかしたら自分は死んでしまうかもしれないと思ったときに、自分は何をしてきたのだろうと振り返ると、ほとんど何もしてないのです。たぶん、私の名前が県庁の掲示板に訃報で載って、“河村裕美さんご逝去しました”と書かれて、そのときだけ『あの人、現職なのに死んじゃったんだ・・』と皆に言われて、2週間ぐらいしたらもう誰もそのことを憶えていなくなり、私の残したものは何もないんだ、と思ったら怖くなったのです。もう私は子供を残すことができないので、せめて自分が生きてきた証みたいものはきっちり残していこうと思ったら、思いついたことはすぐにやらないと気が済まなくなり、非常に行動力が出ました。」

●病気になる前の自分

「昔は、流行の服を追ったり、コンサートに行ったり、おいしいもの食べに行ったりと、そんなところにばかり(目が)向いていました。今はどちらかというと社会的に自分はどういうふうに生きているのかということ、社会の中の自分というものをすごく意識するようになりました。」