①「1950年代後半〜1960年代前半:ハロペリドール」
「ハロペリドール」の登場について
「1950年代の後半から1960年代の前半に、次々と重要な薬が見つけられました。まあ、1つの薬を見つけると、それと似たような薬というのが次々と見つかってくるのですよね。
クロルプロマジンというのはたいへん良い薬で、現在でもよく使われている薬ですけども、この薬は、ある層の患者さんはとてもよく治せるのです。要するに軽い患者さんはよく治せるのですよね。で、中ぐらいの患者さんも治る人もいるかもしれない。でも非常に幻覚妄想が活発なような患者さんというのはなかなか効かない方もいらっしゃるし、どちらかというと鎮静的な薬ですよね。そのお薬を使うと眠くなってくる、場合によったら立ちくらみが起きて、口も非常に渇くというの(薬)は、たくさんの量を与えるのはなかなか難しいですよね。
で、大きな展開というのは、やはりハロペリドール(商品名:セレネース、ケセラン、ハロステン、リントン)という薬が生まれたことですね。」
「この薬は、非常に幻覚妄想に対しての効果がしっかりしている薬です。クロルプロマジンというのは、例えば、200mgとか300mgとか、場合によったら500mgとか、そういう数百mg単位で使う薬ですけども、ハロペリドールは、例えば2mgとか3mgとか5mgとか10mgとか、せいぜい20mgとか、そのぐらいの量で、非常に効果があります。
その当時、ちょうどですね、統合失調症の病因と言いますか、いわゆる原因は何だろうかという研究が、だんだんだんだん進んできた時代ですね。1960年代から1970年代にかけて、“ドパミン仮説”というのが作られるようになってきました。要するにドパミン(中枢神経系にある神経伝達物質)というものが、頭の中にそういう経路があるのですけど、過活動しているということが統合失調症の原因ではないかと。その理由としては、例えば、覚せい剤のアンフェタミン、メタンフェタミンを投与すると、ドパミン系が過活動になるのですが、それだと幻覚妄想が起きてきます。同じようなことが統合失調症で起こっているのではないかと…。
覚せい剤中毒はハロペリドールでとてもよく治せるので、おそらく、ドパミンの過活動さえ治せば、統合失調症が良くなるのではないか。簡単に言えばそういう説ですが、世界中に広まっていきました。たしかに統合失調症のある面はその通りなのですが…。
そういう薬が出ることによって、良くなる患者さんはたしかにいる。だけども全部の患者さんが良くなるわけではないのですよね。良くならない患者さんもかなりいるし、中途半端にしか治らない人もいます。そうするとお医者さんというのはやはり『何とか治さなきゃいけない』と思って、どうしたらいいのだろうということで、いろいろ薬の使い方を工夫するのですよね。ハロペリドールなども、最初は少なめに使っていたのですが、だんだんだんだん量が多くなってきた。そうしてくると、やはりいろんな副作用が大きな問題になってきます。」
表2 抗精神病薬による主な副作用 クリックで拡大します |
同時に非常に大きな問題としてその当時出てきたのが、遅発性ジスキネジアという副作用ですね。これは、特にハロペリドールのような薬で大きな問題になってくるのですが、そういう薬を使っていると、年間何%か、確実に出てくる副作用で、これに関しては明らかな治療薬がないのです。場合によったら薬をやめても治らなくなってしまうというような大きな副作用です。軽いものは、口が少し動くとか舌が動くとか、それぐらいで済むのですが、ひどくなると、体中が奇妙な動きをしてくるとか、首が非常に動きだすとか、四肢(手足)が動きだすというものも出てきます。
もう1つ、遅発性ジストニアという問題もあって、これは首が傾くとか、体が奇妙なふうにねじれてそのままというような状態でして、この遅発性の副作用が、やはり大きな問題になってきて、患者さんそれぞれの方の日常生活にも障害を与えるし、見るからに奇妙ですので、それでなくても統合失調症の方というのは、いろんな形で差別を受けていたのですけど、さらに新たな差別の要因になってくるということがあります。
ただですね、ハロペリドールという薬は、とても有効でしたので、お医者さん側としては、ある程度の副作用はしょうがないなと。もちろん副作用止めは使うにしても、副作用が出ても病気を治せれば、やむを得ないのではないかと、こういう発想ですね。1960年代1970年代、ま、1980年代ぐらいまではそうだったのですね。で、病気というのは(なかなか)治らないと。なんとかしようというと、薬というのはだんだんだんだん増えていく。そういう側面もあって、逆に副作用面ではだんだん深刻になってくる、そういう流れがあったように思いますね。」