「初めての入院は、飲み薬ではなく注射でした。僕も薬については知識がなく、飲み薬だと先生が飲み忘れるだろうということで、一回打つと一か月効果が続くという注射を打たれていました。入院した直後の症状ですけど、両手両足、抑制帯ですか、今は帯になっていますけど、(そのとき)僕は紐で結ばれて、両腕に点滴を受けたときに焼けるような体の熱さを感じて、その感覚は今でも覚えています。あとから話に聞くと、副作用だって言っていました。」
「初めの入院はすぐに落ち着きまして、3か月以内だったと思います。その入院のときは、病名がつかなかったんですね。で、診断名がつかないまま退院をして、退院したら次すぐ仕事を見つけて、仕事をしながらまた通院という形をとっていました。」
「初めて入院したときは、鉄柵で、鍵も開かない、すごく狭いところに百何十名いる。で、僕は入院したころは訳分からなく歩き回っている。で、声をかけてもあんまり反応がない。ここがどこかもわからない。で、看護師さん(から)、あなたはここに一生いなさいよということを言われました、昔。そのときに、すぐどうこうするわけでもなく、ただひたすら日常生活を、自分を鍛えるためじゃないですけど、希望が通るように努力をしたんですね。先生に希望を述べる前も、いろいろと努力をしていました。最初、僕も、僕ができるんだからみんなもできるっていうスタンスでいたんですけど、そうではないことにも気づきはじめました。そうですね、なかには40年入院している人もいたり。なんか、自己満足かなと思うときもあったり、ちょっと言葉が出てこないですけど。自分1人頑張るのが精一杯だったっていうのがあります。他の患者さんと努力したこともありました。けど、どっちかが崩れるんですね、いつも。僕が崩れて、『いいよ、やめよ』って言ったりとか。その相手はまだ努力を続けていて退院していく。僕は退院がのびる。何が足りないのかって分からないんですけど。当時僕一人暮らしで、親からはお金もらえなかったので、治療費もかかるので洗濯を(人に)頼まないで手で洗っていたという理由があるんですね。毎日、ふとんを干したり、毎日掃除したり、そういうことからやりました。周りの人からは3日坊主だ3日坊主だって言われながらもずっと続けて。で、先生に、中田さんどちらで働きたいですかって聞かれたときに、看護助手をやりたいですっていうお話をしたんです。」