統合失調症と向き合う

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米島健二さん
米島 健二さん
(よねしま・けんじ)
48歳。32歳のときに統合失調症と診断。現在、精神障害者のセルフヘルプ・グループ「NPO法人Wendy(ウエンディ)21」の所長として活躍。10年前に障害者小規模共同作業所として北九州市の認可を受け、2008年4月からは地域活動支援センターウエンディ本部として動いている。妻、娘(5歳)、妻の母親と4人暮らし。
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1統合失調症診断までの経緯

「父が、国鉄の橋を設計する仕事をしていたので、2年おきぐらいに転校とかしていたんですよね。で、なかなかクラスになじめなくて、なんていうのかな、自意識過剰というのか、人が通ると自分のことを言っているという感覚があって。で、自分から積極的に友だちに話しかけるということもできない内気な性格だったんですよね。

楽しみと言えばSF小説とかそういう空想ものの本ばっかり読んでいました。だから成績は良かったんですけど、高校の2年のときに、何か月かつきあった彼女に突然ふられて。失恋したショックもあったのかお酒飲んだりしてぐれてしまって、昼夜逆転してしまって。成績も300人中290何番とか一気にがたんと落ちてしまって。でも、クラブ活動で吹奏楽部に入っていて、部活だけは真面目に出ていたので、温情的な処置なのか知らないけども、卒業はさせてもらえたんですよ。」

●高校卒業後、ミュージシャンを目指し上京

「(高校を)卒業はしたけれど、大学とか専門学校とかに全然魅力感じてなくて、自分はミュージシャンになりたいということで、18(歳)か19(歳)のときに東京に出ました。 で、行ってもいきなりミュージシャンになれるはずもないんで、厨房の仕事、ウエイターから始まって厨房のじゃがいもの皮むきとか、1年ぐらいそれをやっているうちに自分はコックになろうかな(と思う)ぐらいまで熱中していたんですけども、1年経って正月になって休んだら、まったくやる気がなくなってしまって。今思えばそれは、ちょっと抑うつ状態だったと思うんですけども、そのままお店をやめてしまいました。

それから先の仕事は、もう数か月単位でコロコロ転々としてまわって。やっていた仕事というのは、写植のオペレーターとかワープロ打ちですよね。それとか、ちょっと思い出せないぐらいいろんな種類、パン屋のベルトコンベヤーとか(やりました)。東京だからとにかく職はいっぱいあったんですよね、その当時は。だからすぐ職には就けるんだけれどもそこでの人間関係につまずいてしまって、なかなかうまくいかない。

ワープロオペレーターをやっていたから、パソコンとかに興味はあったものですから、独学でプログラミングとかを学んで、フリーのプログラマーとして富士通とか東芝とかいろんな工場を回って、自分で(ソフトの)設計をするようになったんですよね。で、そういったフリーの仲間が3人ぐらいできて、会社を設立したんです。」

●ワープロソフト制作会社の設立と失敗

「人間関係もあるけども、その仕事がもうそれだけしかないということにすごいストレスを感じたし、やっぱり独立したいという意欲もあって、別にウェンディという会社を作って、そこで自社製品を作るということで。んんー、それが妄想だったんですよね。
ミュージカルリラクゼーションシステム「Mrs.Hanyミセスハニー」とかいう名前をつけて、コンピューターミュージックマガジンに体験版を載せたりして、頑張っていたんですけども、やっている内容が今見ると、もう妄想の世界なんですよ。

有限会社だから当然開発費とかどんどんお金がなくなっていったら、仕舞いに製品売らないと食べていけなくなりますよね。その時点までいったときに、全財産を投げ出してしまって。で、家に盗聴器とかカメラが仕掛けられていて、スパイされているみたいな感じになって、もう家に帰れなくなってしまって、山手線の下をずーっと延々と泊まり歩いて、路上生活者みたいになってしまったんですね。

でも、やっぱりお金がつきるから、今度は新聞屋さんに住み込みで、住む家も世話してくれたんだけども、実際にバイクに乗って新聞配ろうと思っても道がわからないんですよ全然。何遍(一緒に)ついてもらっても憶えきれないですよね。そのうち、新聞屋は向いていないからやめてくれと言われたけれども、そのときにはなんかもう異次元にいるみたいな感覚で、ここは自分のいる世界じゃないというか、周りが全部敵に見えてきて、ぷつんとそこで記憶が切れるんだけども。両親が迎えに来てくれて、(ふるさとの)北九州に連れて帰って、即入院という形になりました。それが32歳のころです。」

●その後の4年間と入院

「32歳から34,35,36歳という間に4回、毎年、長くても半年、短くて3か月という感じで病状が、急性期(症状)が終わるまで入院してたんですけども、2回目の退院をしたあとに、どうしても東京にやり残したことがあるから、ということで1年間(東京へ)帰って、新しく作った会社じゃなくてその前の会社に、平社員でいいからやとってほしいといって入れてもらいました。

その1年間は薬も飲まないし、通院もしない生活をしていたんですよ。その間、妄想、幻覚が激しかったんだけども、パソコンの仕事はできていたんです。でも、やっぱり1年ぐらいたったら再発してしまって、また親が連れ戻しにきて、また北九州に帰って。そのあと3回目、4回目の入院をして、その間に、自分の病名というのを教えてもらいました。当時(精神分裂病)、今でいう統合失調症ですよね。」

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