「受診して最初に、初めて向き合った先生に「どうされました?」って聞かれたんですね。でも、どうされましたって言われても何から説明していいかわからないんですよ。で、先に、何が一番困ってるかなあと考えて、「最近、寝た気がしないんです」ってやっとそれだけ言いまして。そしたらそれを話の接ぎ穂にして先生のほうから「じゃ、この症状は、こんな症状は」っていう感じで聞いていただいて、全部当てはまってるなあ、と。で、最後に、「頭の中で考えてることが周りに漏れてるって思うでしょ」って言われたんです。それで「え、ほんとに漏れてるんや」って最初すごいあわてたんですけど、よくお話を聞いてみたら、そういうのはすごくよくある症状やからっておっしゃって。で、たぶん環境も変わったっていうことで、疲れてるんやと思うと。で、その心身の疲れがちょっとピークに達していて、脳が活動しすぎてるとか、興奮してる状態なので、それをまず鎮めることが大事だと。で、鎮めるためにゆっくり眠れるお薬を出しますので、これを続けて飲んでくださいと、言われました。
そのときは診断もまだ、先生方からはっきり、どういう病気っていう説明は受けなかったんですね。ま、たぶん、あとで考えたら、1回ではなかなか診断名がつけられない感じやったと思うんですけど。で、一応、病名だけはちょっと聞こうと思ったんですけど、「心因反応というやつやから」と言われたんですかね。でも、なんか納得いかなくてごまかされているような気がしてましたけど。で、情報も、ほかのところからもらったとか、そういうことはなかったです。」
「お薬を何種類か渡されて。最初にもらったのはセレネースと、睡眠をとにかく確保しないといけないということでサイレースとハルシオンと、副作用止めにアーテンかな。あと、下剤もらったと思うんですけど、それぐらいやったと思います。
これ(薬)を飲んだあとって、ものすごく効いたんですけど、その効き方っていうのが、とにかくもう気持ちの波を抑えてしまえっていう感じやったんですね。で、飲みだしたらものすごく眠くなって、1日起きていられない感じだったんですよ。もう、ふらっふらになりまして、1日、ずーっとパジャマで、起き上がれないので、とにかく。もうご飯食べるところまで降りていってもそこでもうパターンて倒れる感じで、最初の頃はひたすら寝てばっかりっていう感じでした。
これが、7年ぐらい続いたと思います。もう、旧薬の時代だったので、ま、それしか薬がなかったというのと、あと治療方法がなかったんやと思うんですね。で、希死念慮って言って、死にたいっていう気持ちがとにかく強かったので、やっぱりそれを抑えなければいけないと。で、その元になっているのは、幻聴で「死ね」って言われることやったりもしたんで、とにかく幻聴を叩かなあかんっていう感じやったんです。そしたら、セレネースの量がどんどん増えていくっていう感じになっていまして、新薬ができるまでは、ずっとそんな感じでした。幻聴はあるにはあったんです。まったくは消えなくって。でも、とにかく自殺未遂しようっていう気すら起こらへんっていう感じでした。」
セレネース(ハロペリドール):定型的抗精神病薬
サイレース(フルニトラゼパム):催眠鎮静剤
ハルシオン(トリアゾラム):催眠鎮静剤
アーテン(塩酸トリヘキシフェニジル):抗パーキンソン病薬
「入院は過去に8回ほどあります。
1回目の最初の入院は、最初にその病院にかかったのが、1993年の5月やったんですね。それから5か月ほどして、とうとう自傷行為に至ってしまいまして、はい。それで、そのときの主治医の先生に「やってしまったんです」って言ったら、そのときかかっていた病院には病棟がなくって、で、そのとき診ていただいていた先生が(他の)病院の先生でもあったんですね。で、(その)病院やったら病棟があるから、そちらへ連絡するから、ということで、そこから病院を移ったんですよ。
(入院期間は)そのときは1か月ぐらいです。
ひたすら投薬治療と、あと、カウンセリングではないんですけど、担当の看護師さんとか、主治医の先生も空いてるときはずっと『どうや』っていう感じでお話はよく聞いてくださいました。あと、病棟全体ではレクリエーションの時間があるので、まあ調子が良いときはそこに出てみたりとか、そんな感じです。
状況は、実はそんなには良くなってはなかったんですけど、私の場合、あんまり入院の生活が長くなりすぎると、たぶん生活レベルが下がってしまうと、そういうことで、危険な気持ちがなくなったんならとにかく、また元の生活に戻りなさいっていう感じでした。」
「2回目(の入院)はそれから6年ぐらい空くんですね。最初の入院のときに、あんまり病院には良い思い出がなかったので、もう2度と(入院)するものかと思っていたんですけど、今度もまたその他の症状が強くなってきてしまって。
私の場合、幻視って言って、ないものが見えるときがあるんですよ。で、その何かが見えるっていうのも、ちょっとなんかホラーめいた、人の目玉だけ浮いているとか、カーテンの、なんて言うんですか、隙間から人が半分覗いているとか、そういうものが見えたりするんです。それでもう怖くて家にいられなくなって。で、夫に相談したら、じゃ、ちょっと落ち着くために、先生も言うてはるのやったら入院するか、ということで2回目(の入院)が決まりました。同じ(病院)ですけど、そのときはもっと休憩っていう感じの意味合いが強かったです。そのときは短かくって10日ほどです。」
「そこからはちょっと今までよりは間隔が狭まってきていて、2年に1回になり、1年に1回になり、多いときは1年に2回入院したこともありましたし、あとはだいたい3年とか2年とか空いてるぐらいですかね。
最後の入院は、去年(2008年)の6月、ほぼひと月間入院していました。休憩っていうことと、あと、実を申しますと、去年(の6月)、入院するって言ったときは、外に出ていて急に希死念慮が起きてしまったんですね。ホームで電車を待っている間にふっとこう体が前に行くような感じになってしまって。だめだ、これは、このままでは私は家にちゃんと帰れないと思って、(病院の)外来に助けを求めたんです。『私はこんなことをしてしまうんですぅ』と。そしたら、『その状態では家に帰せないから、とりあえず、病棟、ベッドが空いているから、上がってください』と言われてそのまま入院になったんです。
今までの入院ていうのも8回のうち5回ぐらいは、希死念慮が強くなって、もう死ぬかもしれないと、そういう危険を自分で感じて、先生にお話したら、『じゃ、ちょっと休もうか』って、そういう感じで入院していました。今は、自宅で生活しています。」
「入院している間は、やっぱし、することがなかなかないもので、音楽を聴いているときが多かったです。音楽と、あと活字に興味がまた出るようになってからは、本もたくさん読みました。(それらは)家から持ってきました。」