「超安産だったんですよ、それこそ“つわり”も全く無かったし。母が、お産が軽かったというのを聞いていたんで、たぶん私もそうかなと思ったんですけど。はっきり言って陣痛のことを『鼻からスイカが出る(ような痛み)』って言う人いますよね。私もそれを一応覚悟はしていたんですけど、乗り切っちゃったんですよね。その鼻からスイカが出る痛みって何だろうと思った時に、この程度では、こんな軽くないだろうと思っていたら、ピークが超えちゃっていて、もうあとは『はい、分娩室で産んでください』という形になって、分娩室に入って40分で産まれちゃったんですよ。
普通で言うとお母さん達、陣痛が始まって、その陣痛が何分おきになったらタクシーを飛ばして来てくださいとアドバイスがあったんですけど、私の場合は最初から入院していたから、破水した時に『ええっ、これってもしかして前兆?』という感じで慌てて看護師さんを呼んだら、その看護師さんが私のパジャマのズボンを綿棒でたたいて…。要するに、それがほんとうに破水なのかどうかを調べようとしていたみたいで。その時に、私、トイレに入ったら、お印が来ていたので、もう間違いないということで、(出産施設に)運ばれちゃって。
そしたらうちの彼が、そのことを全然聞かされていなくて、普段と同じ午後3時になってひょこひょこって来たら、『聞いていなんですか』という言われ方を精神科でされまして、で慌てて、3時過ぎぐらいに(出産施設に)来て。で、そこで1時間ぐらいゆっくりおしゃべりしていたら、『子宮口最大です』と言われて、4時20分ぐらいに分娩室に入ったら5時1分には産まれちゃって。もし面会時間がもうちょっと遅くて、彼が来る前に産まれるようだったら問題だったんだろうなとか思うんですけど。」
「ドクターが、私に、育児はできないという判断をされちゃったんですよねえ。いやあ、何もわからないので…。まさか自分が子どもを産むことになるとは思わなかったし。だから子育てってたいへんと聞いているけど、それこそ赤ちゃんが泣いたら、お腹が空いているのか具合が悪いのか、ただ単に甘えたいのかとかそういういくつかの選択肢の中で、親のなんていうか慣れというか、そういうもので、『この子、今どういう気持ちなんだな』とかを発見して、それに準じたアクションを起こせばいいのかなとかそういう感じで、それこそ、ミルクも作り方があるだろうなとか、そういうのもあったんだけど、『おまえはその程度で子どもが育てられると思っているのか』みたいに兄には言われちゃうし。
(乳児院には)2年3か月ですね。10日に1遍ぐらい面会に行っていましたね。ただ熱を出したりすれば一発で面会が中止になっちゃうし。で、行っては、それこそ、もうかばんに隠して連れてっちゃおうかみたいな気持ちになったこともありましたねえ。
それで、引き取りになる半年前ぐらいから特別なカリキュラムが組まれて、それこそ乳児院と自宅を1日に2往復とか。行って娘を連れて自宅に戻ってもう1回送りにいって帰ってくるみたいなことがあって。週に5日、娘のところに私が会いに行ったり、ものすごいハードスケジュールを組まれて。『これからびしびしいくから風邪なんか引かないでよ』と言われて。そんな感じでしたね。」
「いやあ、もっとなんて言うんですかね。なんの騒ぎもなく静かにほんの数人が見送るような形で連れて行くのかなと思ったら、大々的になっちゃって…。その他の子ども達とかも『バイバイねえ』なんて柵というのかなそこから顔を乗り出すような形で、先生達も大勢出てきて、という感じで…。
その時に、うちの彼が、菓子折1個渡して『ありがとう』なんていうのは嫌だからというので、担当の、男性なんですけど保育師さんと院長先生に感謝状という形で用意したものを読み上げまして。そんなこんなで(娘を)連れて(帰りました)。」