統合失調症と向き合う

体験者の声 医療者・支援者の声 家族の声 私たちの活動紹介 イベント おしらせ
山根耕平さん
山根耕平さん
1971年生まれの44歳(収録時)。2001年に話すことができなくなり、心療内科を受診。その後、症状が悪化し、知り合いの伝手で北海道浦河町の「べてるの家」に行く。精神科を受診し、統合失調症と診断される。症状が安定したのは4年ほど前からで、現在は「べてるの家」の当事者スタッフとして活躍している。精神保健福祉士の資格を有する。
movieImage
<< 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  >>
1日常の生活について
Q.普段の生活を教えてください

「現在は、べてるのスタッフに(2015年)4月に採用されまして、いろんな仕事をしています。朝から順に言うと、朝は送迎、メンバーを家からべてるまで送る仕事をして、そのあと、コンピューターの仕事、当事者研究ネットワークという全国の当事者の研究をしている人達をつなげる仕事をして、午後は畑に行って、畑の作業をするメンバーの支援をしたりして、また送迎に行くというような仕事をしています。

朝は8時から、夜は遅いですね、8時過ぎぐらい、9時になることもあります。結構忙しいので。ただ、スタッフに言われているのは、僕は、当事者でもあるので、その当事者の立ち位置を忘れないようにということで、水曜日と金曜日はそれぞれ教会と、SAという自分自身の語りをする会があるので、そちらに行って当事者活動を大事にしているので、毎日夜8時・9時まで働いているわけではないです。

お休みの日は、一応土日が休みなのですけれど、土曜日は『のんの学校』という子ども達を相手に遊ぶ会とかがあって、そちらの支援をしていたり、日曜日は教会があって、教会の送迎をしたりしているので、結構1週間ずっと走り回っているかもしれないですね。」

Q.現在の住まいは?

「元祖べてるの家の隣のアパートをグループホーム化しまして、そのアパートに住んでいます。4部屋あるアパートで、一人一部屋という形で住んでいます。」

Q.居住形態には満足していますか

「ものすごく今の居住状態で満足しています。1年半前までは、隣のグループホームの元祖べてるの家に住んでいたのですけど、日赤病院の精神科病床が閉鎖になるということで、退院してくる人がいるので、状態の良い人から一人暮らしのアパートに移ってほしいという話がきて、それで僕が最初に移ってくれないかと言われて移ったのです。

グループホームにいた時よりも一人でやらなければいけないことは増えたのですけど、それが逆になんて言うか、プライバシーを守るということにもなりまして。前は、24時間四六時中みんなとワイワイやっていたのが、今は夜の間は自分だけの時間を持てるようになって、夜の自分だけの時間と昼みんなでワイワイやる時間とメリハリがつけられるようになったのが、満足している理由ですね。」

Q.食事はどうされていますか

「食事は、隣の元祖べてるの家で夕ご飯を作ってもらって、夕ご飯を食べています。

昼は、おけいちゃん食堂(べてるセミナーハウス内)で、朝は、僕、シリアルが好きで、シリアル食品を食べているのですけど、家で一人で食べると寂しいので、隣の家まで牛乳とシリアルを持っていってみんなと一緒に食べています。」

Q.収入源は?

「今年(2015年)の4月からは、べてるのスタッフになったので、給与がメインの収入源になりました。障害年金ももらっています。浦河は田舎なのでそんなに物価も高くないですし、十分やっていけます。」

<< 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  >>