「いちばん辛かった時は、べてるに来た直後ぐらいの、べてるのことを理解するまでの間が、いちばん辛かったかもしれないですね。
会社のために死力を尽くしてどんな手段を使っても頑張りましょうとみんなに語りかけていた時は、誰も乗ってきてくれないし、誰も一所懸命仕事をして命がけで働こうとしないし。『なんでだ、なんで理解してくれないんだ』という、ちょっと、自分もおかしかったのですけど、そういう思いで、すれ違いすれ違いだったのです。その、べてるの良さが分かるまでの間がいちばん辛かったと思います。」
「(それ)は、ないかな。べてる自体が、僕が来る前ですけど、『偏見差別、大歓迎集会』というのを開いたりしていますし。疑問に思ったことや、差別だと思われることがあったら遠慮なく言ってくださいと町の人にも言っていたので。ま、いろんな意見は聞いてはいたのですけど、僕自身が差別だなぁと感じたことは、あまりないですね。」
「最初のほうにお話した2002年の1月に入院した時のエピソードなのですけど。幻聴さんが聞こえて、『会社と地球を救って!』という声が聞こえて、襟裳岬に行って、宇宙船に乗って救ってというので、これは一大事と、会社のためならなんでもしなければいけないので、宇宙船に乗せてくださいと言ったら、ミーティングが開かれて、『宇宙船は何人乗りなの?』とか、『何色なの?』とか、『どんな形をしているの?』とか言われて、答えていて。ま、みんな時間稼ぎをして、『気づいてくれ』という意味で言っていたと思うのですけど。
そういう論議をしていた時に、あるメンバーが、『山根さん、浦河では宇宙船に乗るのに免許証が必要だって知ってた?』と言うから、そんなの知りませんと言って。もう、とにかく僕は宇宙船に乗りたいんですと言ったら、まあまあ、多数決を取ろうということになって、『宇宙船に乗るのに免許証が必要だって思う人』と聞いたら、僕以外の全員がバーっと手(を)あげて…、一人残らずパっと手をあげたのです。
なんの打ち合わせもしていなかったみたいだし、やっぱり浦河というのはそういう所なのかなぁと思って、『分かりました。僕にも、その免許証ください』と言って、『なんてところで発行してくれるんですか』と聞いたら、『川村宇宙センターというところで発行してくれる』と言うから、行ってみたら、浦河日赤病院で、そこで向谷地さんと川村先生が待っていて。で、『これこれこういう理由で、地球と会社を救うために、宇宙船に乗せてください』と言ったら、川村先生が『うーん』と考え込んで、『僕(山根さん)より2〜3年前に同じく宇宙船に乗ろうとして、2階の窓から12月24日のクリスマスイブに転げ落ちて、足を複雑骨折して、這って病院に来た人がいるから、今のまま山根君を襟裳岬に行かせてしまうとそういう状態になりそうだから、ちょっと休んでいかない?』と言われて1週間、入院したのです。
なので、川村先生があとから言われたのは、山根君を表彰した理由は、宇宙船に乗りたいと言ってみんながミーティングを開いてくれて、みんながあの手この手を使って、いろんな方法でサポートしてくれたことを評価しての受賞なのだよと。だから、また、UFOを呼んだりしても、もう賞はあげないからねと、念を押されました。」