統合失調症と向き合う

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山根耕平さん
山根耕平さん
1971年生まれの44歳(収録時)。2001年に話すことができなくなり、心療内科を受診。その後、症状が悪化し、知り合いの伝手で北海道浦河町の「べてるの家」に行く。精神科を受診し、統合失調症と診断される。症状が安定したのは4年ほど前からで、現在は「べてるの家」の当事者スタッフとして活躍している。精神保健福祉士の資格を有する。
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3浦河べてるの家に着く
Q.べてるの家を知ったきっかけを教えてください

「会社のセミナーが終わって、中堅社員は会社のために死力を尽くして働くことという結論が出たので、模造紙を部屋の四面に貼って、僕も、『会社のためならどんな手段も選ばないで頑張るぞ』とブツブツ言っているところを、うちの母が見て、『このままだと会社に殺されちゃう』というので、べてるの伝手を探して、べてるにたどり着いたという形なのです。

ただ、自分ではまだ会社のために、なんでもしなければいけないと思い込んでいた時点だったので、完全には踏み切れていなかったのですけど、母がここは危ないから安全な所に行きなさいというので、浦河に来たという感じでした。

発症というか、会社で『余計なことを言うんじゃない』と言われてから、べてるにたどり着くまでは約2か月の間があります。

今住んでいる家の隣の『元祖べてるの家』という家にたどり着きまして。で、その当時2001年は元祖べてるの家の隣の教会で、べてるが活動していたのです。で、一緒について行ってくださった方が、TBSの『ニュース23』(番組)のプロデューサーをしている方で、『べてるに取材に行くから、ちょっと山根さんも助手としてついて来ない?』と言うので、ついていって。で、1週間ぐらい、元祖べてるの家のグループホームを借りて住んでいて、1週間経ったところで、僕一人で残されて生活を始めたという形でした。」

Q.受診はどうされたのでしょうか

「たどり着いてすぐぐらいに受診しました。浦河日赤病院の精神・神経科を受診して、主治医は川村敏明先生でした。

川村先生には、本当のことが話せたのです。会社でいろんなことがあって、安全な車作りを目指したら仕事を取り上げられて、『余計なことを言うな』と言われて、一人っきりで仕事をして大変でしたと話したら、『山根君苦労したね』という話になって……。

抑うつ状態と診断されて、こういう薬をもらっていますと言ったら、先生はう〜んと考えて、『山根君この薬はね、なんつったらいいのかな、自分の表現したいことを平らにしちゃうようなお薬で、今の山根君には火に油を注ぐような状態になっちゃうお薬だから、もっといい薬があるからそっちの薬を出そう』と言って、出してもらったのが統合失調症のお薬だったのですね。で、統合失調症のお薬を飲むと、結構落ち着けて、目の前に再現されてしまう会社の職場の風景や音声がスーッと遠くに行く感じになって、楽になりました。」

Q.統合失調症という病名は告げられたのでしょうか

「その時は、会社に、休職していたので診断書を出さなければいけないのですね。診断書に病名を書いてくださるのですよ。最初に受診した時の病名は抑うつ状態という病名でした。で、それが、統合失調症とはっきり書いてもらえるようになったのは、2002年の1月に最初の入院をしたのですけど、その時に、その会社の風景とは全然別の、今までに自分が経験したことのない声が聞こえてきて……。

『会社のためにどんなことをしてもいいんだから、地球と会社を救うためにUFOに乗って、襟裳岬から旅立ってほしい』という声が聞こえて、UFOに乗せてください、襟裳岬に行かせてくださいとみんなに頼んで、ミーティングが開かれて…。みんなにいろいろ説明を聞いて、UFO乗るには免許証が必要なんだよということで、免許証が必要な日赤病院に行ったら『ちょっと休んでいかないかい?』と言われて1週間入院したのです。そのエピソードの後、6か月ぐらいしたところで、統合失調症という診断名がつくようになりました。」

Q.病名を知った時の気持ちを教えてください

「僕全然、ここに来るまでの間、精神病とかそういう心の病とかに対する知識がなかったので、大学も理工系の大学で、理工学系の勉強ばっかりしていたので、統合失調症だとかうつだとかの病名を全然知らない。最初の心療内科も約2か月かかった時点でこちらに来たので、病名を聞いてもあまりピンとこなかったのです。で、統合失調症という名前は、確か周りのみんなが結構持っている病名だなという認識でした。」

Q.今までに入院は何回しているのでしょうか

「精神科は、その後も度々入院していて、全部で何回かな?1週間ぐらいの短いものも入れたら5回ぐらい入院しています。

最後の入院は2011年の9月ですね。それ以降は順調です。逆に言えば、そこに至るまで約10年間たいへん評判の悪い状態が続いていまして。この4年ぐらいがようやく評判が良くなってきたところなのです。4年以上前を知っている皆さんは、『山根君変わったねぇ、良くなったねぇ、良かったねぇ』と言ってくれますから。」

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