統合失調症と向き合う

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山根耕平さん
山根耕平さん
1971年生まれの44歳(収録時)。2001年に話すことができなくなり、心療内科を受診。その後、症状が悪化し、知り合いの伝手で北海道浦河町の「べてるの家」に行く。精神科を受診し、統合失調症と診断される。症状が安定したのは4年ほど前からで、現在は「べてるの家」の当事者スタッフとして活躍している。精神保健福祉士の資格を有する。
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11コミュニケーションについて
Q.医療者から言われて心に残っている言葉はありますか

「主治医の先生から言われていたのですけど、僕は、前半10年は、自分の症状とかを、主治医の川村先生にしかほとんど言わないことが多かったのです。川村先生だけに話して川村先生と話していれば良くなるのではないかと少し思い込んでいたところがあって、一所懸命川村先生に話したのですけども、話せば話すほど先生が、『山根くん、こういう経験や苦労は僕だけじゃなくて仲間やスタッフと、みんなと分かち合ってぜひ話してほしいな』と。

先生と僕との一対一の関係だと乏しいけれど、仲間との関係になると非常に豊かな関係が生まれてくるから、僕との一対一の関係で終わらないでみんなでやってほしいと。当事者研究とかも、仲間との間でワイワイやってほしいと言われていたので、自分から周りとの関係に気づいたというよりは、主治医の先生に言われて、周りとの関係に気づいてきたという感じですね。」

Q.精神保健福祉士の実習に行くにあたって主治医から言われたことがあるそうですが

「実習先に行くにあたって、今浦河で行われている、自分の苦労を仲間に語って、苦労を受け止めたり対処方法を探したりする、苦労の分かち合い、病気の苦労を語る文化というのを、実習先に求めてはいけないよということを川村先生に最初言われました。

病気を語る文化というのは、浦河だと何気なく行われているように見えるけど、実は非常に高度なことで、非常に難しいことであって、当事者だけでやれるものでもないし、医療関係者、福祉関係者が力を合わせて作り上げていくネットワークが、そういう自分の苦労を分かち合える文化であるから。浦河には幸いそれがあるけれど、他の所にはまだできていない所が多いから、自分の病気が語れないといってブーブー文句を言うのは、今回の実習ではやめてねと言われたのです。

自分の病気の苦労や経験を分かち合えるというのは、たぶん今までは統合失調症の当事者が、自分の苦労を語るなどというのは、10数年前にはあり得なかったことかもしれないですけど、べてるや、他の団体さんもやっていらっしゃいますけど、こういう形で話し合えて、このJPOPさんでも、こうやってインタビューしていただけるような時代になって、ちょっとこれからこういう情報発信、情報の交流が盛んになって、大切になっていくと思うので、ぜひそれを当事者だけではなくて、医療関係者、福祉関係者の方も含めて、多くの人で分かち合っていきたい。(そう)できるようになるといいと思います。

あまり大きなことは言えないですけど、僕はとにかくここに辿りついて幸せだったので、世の中を変えてやろうとか、何か組織のトップになって、統合失調症関係は全部改善しようとかという思いはないのですけど。ただ、普段浦河でワイワイやっているこの良さが、こういう取材とかの形で世の中に広まっていって、それがきっかけで、東京とか大都会の医療関係者、福祉関係者の方もこういう弱さを語り合う文化が他にも広まっていけるようになるといいなと思います。」

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