「最初に日本オストミー協会に入ったのが1988年で、手術をした年です。ブーケを立ち上げた1999年までには10〜11年ぐらいあります。その10年間になかなか同じがんでストーマになった同年代の人に会うことがなかったのですね。
オストミー協会に行けば、がんの人はいっぱいいます。年配の人がほとんどという状態でしたが、その中で1998年にオストミー協会兵庫県支部の女性会員の集まりで『もくれんの会』という会がありました。
そのときに役員の女性ふたりと、若い人がひとり一緒に来たのですね。彼女もがんでストーマになっていて、もちろんその日からすごく仲良くなりました。大阪の人だったので車で高速を使えば1時間ぐらいで行けるところに住んでいて、電話をしたりお互いの家に行ったりという付き合いが始まりました。いろいろ話をするうちに、私は『子供がほしい』と思っていて、彼女のほうもひとり子供がいたのですけど『もうひとりほしい』と思っていました。
でもストーマになってからの出産に関する情報がなかったのですね。そういうなかで彼女自身、今ひとり育てていて、子育てのこと、妊娠・出産のこと、仕事のことなど『若い年代の悩みを相談できる場がないね』という話になりました。
それから1年ぐらい経ってから、『自分たちの会を作ろう』という話になり、大阪の会のほうにもふたり若い子がいるので声をかけてみるということになりました。兵庫にも少し年上の方が1人いて、ぜひ一緒にやりたいということになったので、『じゃ5人で作りましょう』ということで。
まずは会報というか、情報誌を作れないかと思い、それぞれの思いを書くだけでもいいし、そういうことをやりたいというふうになりました。それも今だったらメールで話し合いができるのですが、まだファックスの時代で、『これどう思いますか』とファックスを出して4人からファックスで返事をもらうようなことでした。ひとり入院していた子もいたので、ファックスを家族が病院に届けてくれるなど、そのような感じで話を進めていきました。すごく原始的なのですが。」
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ブーケという名前にして結果的によかったなと思うのは、がんだけじゃなくて、潰瘍性大腸炎とかクローン病とか先天性の疾患とか婦人科系のがんもありますし、いろんな病気でストーマになるのですね。いろんな病気でいろんな人がひとつになっているという意味で、ブーケという名前にしてよかったなと余計に思うようになったのです。」
「いちばん最初にブーケを始めようと思ったのは、やはり友達というか、話ができる友達がほしいということです。家族とか友達とかに話をしてもわかってもらえないことってありますよね。ブーケの会員と話をしていても思うのですけど、皆が言うのは、『ストーマのことでも、ちょっと悩んでいることでも、ひとこと言っただけで全部わかってもらえるのがすごくうれしい』と。当事者同士だと、すごく気持ちがわかるというか。
座談会や食事会をブーケでやっているのですが、はじめて会ってもはじめて会った気がしない、何か前からの友達みたいというのを皆言いますね。すごく楽しいんです。だから皆『ブーケを作ってくれてありがとう』と言ってくれるのですけど、私自身がすごく元気になれて、『みんな入ってくれてありがとう!』という気持ちです。」
「ブーケの会員になっている人に聞くとホームページを見つけて、まず安心するらしいのですね。『女性の会があった』というのがわかり、すぐに入る人と、半年ぐらいずっとホームページを毎日見ている人、見て一応安心してそれからやっと入る人、といろいろなのですが、とりあえずブーケが活動していることで若い女性オストメイトもいる、そういうのがあるということがわかるだけでも安心してもらえたりするようです。
私はストーマになったときに、オストメイトの人とはすぐには出会えなくて、自分ひとりだと寂しく思っていたのですけど、ブーケや日本オストミー協会には実際にちゃんと同年代の人もいたし、オストメイトはたくさんいたので、『ひとりじゃないな』と思いました。どう言えばいいのでしょう、『なんとかなりますよ』ということですね。不思議なことに、意外と近所にいたりするのですよね。」