「私が受けてきた過去の医学教育では『麻薬は使うな』でした。使うと上司から叱られたのが日本の医療でした。私がまだ卒業後数年しか経っていない若い医師の頃、とても痛がっているがん患者が来たので『麻薬を使いたい』と上司に言ったところ、『あんまり使うな』と言われました。『1アンプル使いたい』と言うと、『半分にしとけ』『使う回数を減らせ』というような指示ばかりで、それを守らないと叱られたものでした。そういう時代が日本では長く続いて、その中でWHOがモルヒネ(医療用麻薬)を使えと言い出したわけです。
私が働いていたがんセンターにもたくさん痛がっているがん患者さんがいて、1970年代後半は医師も看護師も、どうにかして痛みを治療したいという気持ちでしたが、よい治療成績はあげられていませんでした。そこへ私がWHOで治療指針の起案作業に参画し、『素案通りの治療法がどれだけ効くか、このがんセンター病院でテストしてほしい』と頼まれたのです。病院も『それは大賛成、皆で協力するからやりましょう』となってテストしたところ、病院内に痛い人がひとりもいなくなったのです。それで職員は皆、目覚めました。しかし一部には、『恩師が使わなかったモルヒネを俺は使いたくない』と言うシキタリ重視の頭の硬い医者もいました。そうしたなかで実際に使っているうちに、反対していた医師もモルヒネをだんだん使うようになりました。
いちばん病院が変わったのは、唸っている人がいなくて、笑い声の病室になったことです。がんの進み方は全員前と変わりがありませんが、『痛みが消えたら、がんに勝ったも同然』という患者さんまで現れました。そして、がんの患者さんには誰が反対しようと家族が反対しようと、診断について嘘を言うのはやめました。それは世の中に抵抗してでも本当のことを言うようにして、嘘を言わない姿勢を貫くように、全病院がなりました。そのふたつで唸っている患者さんがいなくなり、笑い声の病院になったのです。 」