がんと向き合う

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山内 梨香さん
山内 梨香さん ①
(やまうち・りか)
看護師
盛岡市在住。2005年末、32歳のときに乳がんと診断される。手術後、骨と肝臓に転移するも、抗がん剤、放射線治療、ホルモン療法を経て、順調に回復(その後の経過はこちらをご覧ください)。現在は仕事にも復帰し、看護師として患者さんの身体と心のケアにあたっている。2008年に自らの闘病体験をつづった『がけっぷちナース がんとともに生きる』が2009年3月に飛鳥新社より新装刊。ブログ:「生きてる喜び日記
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4放射線治療に通う

「抗がん剤が終了したあと、放射線治療が5月から始まりました。人によっては、『抗がん剤と放射線とでは放射線のほうが辛かった』という方もいらっしゃるくらいで、ジワジワとみえないけれども段々蓄積していくのがわかるのです。放射線をあてるのは1〜2分で終わってしまいますが、段々免疫が落ちていくのです。皮膚の表面にあてるので、胸がこんがり日焼けして被爆したような状態になり、皮が剥けて水ぶくれが何個もできて、下着もつけられないくらい痛くて熱くてたいへんでした。1ヵ月半で25回通いましたが、毎日同じ時間にたった1〜2分の治療に通うというのも後半は辛くなってきてしまい、『今日は休みたいな・・・』と思ってもやはり毎日続けてかけないと効果がないということで、毎日頑張って頑張って、今日一日、今日一日と思って頑張って行きました。」

●仕事に復帰

「放射線治療が終わったのが2006年6月末で、7月から仕事に復帰しようと考えていました。7月からはホルモン療法になり副作用も少ないので、まず仕事に出ようと思っていたのです。しかし約8ヵ月仕事を休んでいたので体力が落ちていて、もともと腰が悪かったのが悪化してしまいました。それでもMRIを撮ったりブロック注射をしたりしてなんとか頑張って一日勤務、三交代勤務*という具合に、また元の生活に戻れるようになりました。でも元の生活に戻らないほうがよかったのか・・・。

周りに『あまり無理をするな』と言われても無理してしまうのですよね。この仕事は『できない』とは言えませんので、重たい患者さんが来ても、どんなに辛い仕事があっても、やはり看護師である以上はやらなければいけないので、そういうところでやはり少し無理をしていたのかな、と今は思います。」

*三交代勤務
1日の勤務時間帯が日勤(08:30〜17:15)、順夜勤(16:30〜01:00)、深夜勤(00:30〜09:00)の3つに分かれていて、次の時間帯の看護師とは30分で申し送りをして交代する。山内さんの勤務する病院では、夜勤は月に8回以内と決まっていて、平均して週に2回、夜勤が入る。

●足の骨に影

「12月に1年目の検診があり、その時は肝臓と他の腫瘍マーカーは特に問題なかったのですが、骨シンチグラムで左の大腿骨(太ももの骨)に少し影があり、主治医に『これはぶつけたのではないか』と言われたのですが、私はぶつけるとあざができる体質なので、『これはぶつけたんじゃないな・・・』と、自分でもおかしいと思っていました。

2007年1月、ちょうど仕事も忙しく、久しぶりにぎっくり腰になってしまい、別の病院のペインクリニックの先生にブロック注射をしてもらいに行きました。そのときに『実はこの前の検査で、骨シンチでここが光ったのですが・・・』と言うと、『気になるならMRIを撮ってみましょう』となりMRIを撮ったところ、やはり『骨髄のなかに何かがみえる』と言われて、放射線科の先生にも診ていただいたところ、その先生も『よくわからないけど、血管腫か何かがあるかな』と言われました。しかし、そこの骨を切るわけにもいかないので、『主治医の先生と相談してください』と言われました。

主治医の先生に相談すると、『CTをもう1回撮ってみよう』となり、足のCTを撮りに、2月に手術した病院に行きました。ところが足のCTを撮るはずが、レントゲン技師さんが間違えて胸腹部を撮ったのです。『私今日、足のCT撮りに来たんですよ』と言うと、『あ、すみません』と言ってもう1回足のCTも撮ったのですが、その時に間違えて胸腹部のCTを撮ってくれたがために、肝臓に影があるのがその時にわかったのです。『問題なのは肝臓のほうですよ』と仲良しの先生に言われて『えーっ』とびっくりして、『でも、もしかしたら良性の嚢胞かもしれないし、もう1回MRI検査をしてみないとなんとも言えません』と言われました。」

●がけっぷちに立つ

「足の骨に転移しているかもということで検査に行ったのが、今度はまた『肝臓』と言われたことで、がけっぷちに立たされたような気持ちになりました。1ヵ月後にMRIを受けたところ、『肝臓に転移しているのではないか』と言われて、それは最初の乳がんの告知よりもショックが大きかったです。自分でも良性だと思い込んでひとりで結果を聞きに行ったのもありますが、『転移』とか『再発』と聞くとやはり普通は『もう治らない』と言われているような感じがするので、自分も『もうあとどれくらい生きられるのだろう』と思い、ショックで外来で泣いていました。

勤めている病院にラジオ波治療(ラジオ波焼灼療法)の有名な先生がいるのですが、その先生と一緒に仕事をしている友達の看護師さんに『大丈夫だよ、大丈夫、大丈夫。転移性肝がんで、治療で治っている人いっぱいいるんだから』と言われて、『あ、そうなんだ。すぐ死んじゃうわけではないんだ』と自分でもそこでホッとして、『悪いところはちゃっちゃと取ってもらうしかないな』という気持ちになりました。」

●皆のためにも生きなくては

「そのあと治療方針を主治医と相談して、先生は『抗がん剤を先にやったほうがいいのではないか』と言われましたが、私としてはやはり『見える敵を潰してしまいたい』という気持ちもあったので、『ラジオ波の先生に紹介状を書いてください』と頼み、ラジオ波治療のために2週間入院しました。腫瘍の周りを焼き固める治療を2回受けて、『うまく焼けて活動性が押さえられた』ということで退院しました。

入院中から肝臓のほうの主治医に『(肝臓に)転移したということは、血液にがん細胞が乗っかって全身に運ばれて、たまたま肝臓でその腫瘍が大きくなってきたけれど、みえないがん細胞はやはり体の中にあるので、抗がん剤をやっておいたほうがいい』と言われました。いろいろな先生にセカンドオピニオン、サードオピニオンを聞きましたが、やはりどの先生も『現代医学ではやはり抗がん剤がベストだろう』ということでした。

主治医には『やりたくない気持ちもわかるけれど、周りの人のためにも頑張ってください』と言われて、(抗がん剤治療が終わって)髪の毛がやっと生えてベリーショートになったばかりでしたが、『皆のためにも生きなくちゃ』と思い、受ける覚悟を決めました。そのときも最後の最後まで迷ってはいましたが、背中を最終的に押してくれたのは親友の看護師の子で、『抗がん剤の辛さは梨香ちゃんしかわからないかもしれないけど、どんなことがあっても生きてほしいから、諦めずに抗がん剤を受けてほしい』と言ってくれたことが、やはり背中を押してくれました。」