「抗がん剤治療をどこで受けるか悩みました。それで、今の主治医を友達が紹介してくれて、『熱血漢で諦めない先生』ということで、そちらの大学病院に行って入院させてもらいました。
2007年4月から8月までタキソテール®という抗がん剤を6回やりました。抗がん剤は血管の外に漏れると皮膚が壊死してしまうので慎重にやらなければいけません。私は血管がみえないので、1回目の抗がん剤は腕にポートというものを埋め込む手術をしました。そのポートも2回目までは使えましたが、2回目に肝機能が上がり、ポートもジクジクし始めて結局『拒絶反応』ということで抜きました。
そのあと手術で再び鎖骨下からポートを入れたときに、不整脈を起こしました。局部麻酔なので大丈夫だろうと思い、両親も彼も遠くにいるので、誰にも来てもらわなくてもいいと思ってひとりで行ったのですが、手術中本当に死ぬかと思いました。ギューっと心臓が熱くなってドカドカしてきて、心拍数も150ぐらいになっていたと思います。それでもう自分の心臓の鼓動が押さえられずパニックになり、手足と口の周りがしびれてきて、しゃべれない感じになってしまったのです。天井も青く見えだして、『あ、これはショック状態になってしまう!』と思い、急いで『看護婦さん、手!手を握ってください!』『なにか面白い話をしてください!先生』と言って、それでなんとか乗り切りました。あのとき何もしていなかったら、もしかしてショックを起こしてそのまま逝っちゃっていたのかな・・・と思うと、何が起こるかわからないので、どんな小さな手術でも絶対に家族は呼ぶべきとそのときに思いました。
そんな思いまでして入れたポートですが、退院した日にピリっと傷が開いてしまい、なにかジクジクし始めました。私はどうもケロイド体質というか、異物を外に出そうとする力が強いみたいで、結局先生に相談すると『これはもう抜かなきゃだめだね、拒絶反応だから』ということで、外来でスポーンと抜いたのです。
次の日に友人2人と『ランチを食べに行こう』と言って冷麺を食べに行きました。食べているときから首の右側がすごく痛くて、左胸を手術しているので左側の肩はこるのですが、右が痛いのは珍しいなぁと思い、行きつけのサロンにマッサージをしてもらいに行きました。その時からゾクゾクゾクゾク背中が寒くて、なにかおかしい、なにかおかしいと思い、車を運転して家に帰って熱を測ると、40.6℃まで熱が上がっていました。その数字を見ただけでもう『は〜っ』と過換気になり、息がハカハカして苦しく、手足がしびれてきてしまいました。それで電話をかけて仲良しの子に来てもらい、救急車を呼んでもらって、生まれてはじめて救急車に乗って大学病院の救急センターに運ばれました。」
「もう自分の体に何が起きているのかがわからなくなりました。外来でもいろいろと検査をしましたが肺のほうはきれいで、『こんなに熱が上がるのは、この(昨日抜いたポートの)傷からの感染ではないか』ということで、入院することになりました。次の日に検査結果で、MRSAという菌が体内に入って敗血症を起こしてしまったということがわかりました。原因がわかってからは解熱剤を使い、少しずつ少しずつ熱が下がってきて3日目にやっと38℃ぐらいに下がりました。しかし、その3日間で本当に精神的に参ってしまいました。
寝ていると、いろいろな不安が出てくるのです。『もしかしたら肺に転移しているのではないか』と悪いほうにばかり物事を考えてしまい、食事もほとんど摂れませんでした。抗がん剤を受けていたせいもあり、朝起きたときには目が開けられないほどパンパンにむくんでいて人相が変わったくらいです。熱が3日目から下がりだしてからはだいぶ楽になりました。
敗血症になって入院したことで、『自分のしていることは間違っているのではないか』という思いが強くなり、入院中は泣いてばかりいました。心を許せる看護師さんで乳がんのスペシャリストの方がいるのですが、その方に話を聞いてほしいと思い、とても忙しそうなのに快く話を聞いてくれて、少し楽になり、11日後に退院しました。
退院したときも『やり遂げた』という感じで、仲良しの看護師さんが『退院したら何したい?』と言ってくれて、『カラオケしたい!』と言ってカラオケに連れていってもらい、皆でカラオケを歌って、踊って、楽しみました。」
「『あー、よし、元気になったぞ!』と思い、彼のいる秋田に行って主婦をしていたのです。何もすることがないので、ごはんを作ったりしていました。2日目に“たこキムチ”を作ったところ、たこが悪いたこだったようで、ふたりともたこにあたってしまい、退院して3日しか経っていないのにまた39℃の熱が出てしまいました。彼は1日で熱が下がって治ったのですが、私は5日間くらいずっとお腹をくだしていて熱も下がらなかったので、近くの病院に行って点滴を受けました。秋田のその病院は全く受診したことがなく、看護師さんや先生に一から自分の病歴を説明するのがすごく煩わしかったのですが、看護師さんに『こうこうこうでこうで・・・』と自分のことを説明すると、『あなた本当に強いね、よく頑張ってるよ』と、見ず知らずの初対面の看護師さんにそう言われて、すごく涙が出ました。
点滴を受けて熱も下がって元気になってはきたのですが、その時期は本当に精神的に荒れていた時期で、自分のしていることが全て裏目裏目に出ているような気がしました。その日、点滴を受けて帰ってきてから彼に当たってしまい、かつらを投げつけて、『もう、こんなに頑張ったって治んないんだったら何もかもやりたくない!私がやっていることは間違っているの!?』と彼を責めてしまいました。『大丈夫、間違ってないよ』と彼は言ってくれたのですが、あの時期はいちばん精神的に参っていたような気がします。」
「4回目からは抗がん剤を腕から入れていました。その時期は腫瘍マーカーもすごく順調に下がってきて、検査を受けて全身のほうも特に問題なく、肝臓も問題なく、『順調にうまくいっているよ』ということで、少し元気になっていました。
最後の抗がん剤が2007年8月末で、ちょうどお盆で実家に帰っていました。その夏はとても暑く、かつらをかぶるのもものすごく暑くて嫌で、頭皮にあせもができるぐらいでした。それで8月になると髪の毛だけではなく、眉毛と睫毛まで全部抜けてしまい、抜けるとは聞いていたのですが、本当になくなってしまったのがやはりショックでした。眉毛は描けるのですが睫毛は描けず、顔が変になるのです。つけ睫毛をしてもうまくできないので、友達に睫毛エクステンション(つけ睫毛の一種)を勧められて1万円ぐらいかけてエクステをつけました。すると今度はそのボンドにかぶれてしまい、目が充血してコンタクトも入れられない状態になってしまいました。眼科の先生の所に行くと、『きれいになりたいという気持ちは大事だよね』と言ってくれて、『でももう毛が生えてきているよ、よく見てみて』と言われて見ると、本当に根元だけですが、つんつんつんと生えてきていて、『あぁ・・・私、生きているんだなぁ・・・』とそのときに思いました。
抗がん剤治療が終了して 満面の笑顔の山内さん (2007年8月) |
今まで健康だったときは、いろいろとダイエットもしていましたし、痩せる薬があると言われたらそれを飲んだりしました。なにかすごく間違った美意識に支配されていて、それで結構遺伝子に傷をつけていたのかな・・とがんになっていろいろ辛い思いをしてからやっと気づいて、『あぁ、あれは間違っていたのだな』と思いました。『太っていても何しても、元気でいられればいいじゃないか』と。睫毛が生えてきていることも嬉しかったですし、最後の抗がん剤というのがやはり嬉しくて、入院しているのに笑顔の写真ばかり撮っていました。」