「あまりハードな術後療法をするよりは、ホルモン療法ひとつでやっていったほうがいい、それもそれほど期待できる範囲ではないという主治医の見解ではあったので、やらないよりはいいかなということで、一年間ホルモン治療をしました。それでちょっと情けないのは、皆さん重い抗がん剤治療をなさっても音を上げないでやっていらっしゃるので本当に頭が下がるのですが、私はホルモン療法でかなりの副作用を自分で感じてしまいました。
それが2、3あり、唇の乾き、皮膚のすごい乾燥、皮膚の敏感な部分が薄くなり非常に不都合でした。あと体重の増加、軽い不定愁訴と、そういうことがフラッシュ的にこれでもかこれでもかとあったので、主治医に相談しつつ『この薬をずっと飲むのと飲まないのとでは、どのくらい治療成績に差があるのですか?』と、そういうことを診察のたびに先生にしつこく聞いていました。そのたびに先生から誠意ある回答をもらって、『山本さんの場合にはこのくらいしか期待できないのだけれども、やらないよりはいいよね』ということで、1年間を経ました。
そして先生に『治療を止めたい』とお願いしたのです。『こんなに辛いのだから、止めてもいいですよね』ということをすらりと言えたのは嬉しかったです。そうしたら、やはり私が選んだ医師だからということはあるかもしれませんが、『QOL(生活の質)を優先しましょう』と先生が言ってくれたので、治療はそこで止めて、それ以後はしていません。(治療を止めたあとは)ものすごく生活の質が上がりました。 」
「医師が、患者の意思や考え方とかスタンスを最優先する、という考え方だったとは思います。QOLをいちばんに大切にしてくれました。患者さんには、これだけ治療成績がいいのなら絶対どういうことがあってもチャレンジしたいという考えの方とか、先生に全てをお任せして自分はあまり詳しく学びたくないという方とか、いろいろなタイプの方がいます。ご自分でいろいろな治療法やガイドラインやセカンドオピニオンを選べて、いろいろな情報をもって医師に相談に来られる方もいらっしゃいます。私はそういうことよりも、元気で日常生活を普通に送る、送れないのであればそんな人生は嫌だ、と医師にも訴えましたので、『(治療成績が)このくらいならQOLを優先して、患者の意思に従って止めるのもいいかな』と思ってくれたのではないかと思います。
そう言うなら仕方ないという形で、(治療を止めるのは)しぶしぶだったと思いますが、ありがたかったです。それはやはり自分で決められたので。もし『こういう理由で絶対止めないほうがいい』という大きな根拠があるのだったら、また医師からそれを言ってくれると思うのですね。
それは両者の間での同意で、『君が決めたんだよ、そうなっても知らないよ』と言う医師ではなかったので、それはもう嬉しかったです。反対にそういう医師でないからこそ、自分の決断は自分で責任をもって納得しなければと思いました。 」
「ホルモン治療と子宮がんとの関連を聞いていましたので、やはりホルモン治療を止められるのであれば、早めに止めたい、(子宮がんがないかどうか)調べたい、検査したいと思っていました。やはり第六感みたいな、何か怖いなというのはありましたね。ですから子宮体がん検査は痛かったですが、半年に1回ずっとやり続けました。乳がんの主治医からは、『半年に1回は痛そうだから、1年に1回必ず受けようね』と言われていましたが、私は怖かったので、そこはがっちり押しかけてでも、検査を受けていました。そのうち少し異形細胞がみつかり、様子をみて鉄剤を飲んだり生理を止める薬を飲んだりしていたのですが、段々手に負えなくなり、最後は0(ゼロ)期の子宮がん、という診断でした。
私はもう閉経に近い年齢でもありましたし、子供も3人おりますので、最初の乳がんの時と一緒で、単純なのでもうすぱっと『全部、さっさと取っちゃってください』とそちらの主治医にもお願いしました。何の迷いもなかったので、子宮を取ったあとももう万歳です。ずっと悩まされてきた悩みから解放されたという喜びと、がんがゼロ期であったがためにリンパを郭清することなく、手術のあと化学治療を受けずに済むという確認がものすごく嬉しかったので、もう切った次の日からまた万歳で、売店にアイスクリームを買いに行きました。
乳がんは超早期発見はできませんでしたが、子宮においては自己防衛ができたということで、自分で『やった!』という満足感はあります。」