「それからずっと中学校、中学1年・2年で、やはり教室には入れなくって、別室登校、別部屋で不登校気味な子ども達とか、心がちょっと不調の子ども達が集まる教室を作っていただいていたので、そこに登校していたんですけど。お薬はずっと飲んでいました。
で、中学3年ぐらいから、すごく調子が良くなって、教室に行けるようになって、本人もすごく自信がついたのか、『もう、薬を飲んでも飲まなくても一緒だ、もう飲まなくてもいい』みたいに言った時期もあって、病院の先生も、じゃ、一旦、本人も飲む気がないというか、(薬が)なくていいって言うんであれば、様子を見ましょうということで、一旦(薬を)飲まない時期もありましたね。」
「高校に入学してから、通院はまったくやめたわけではなくて、お薬を飲まないけれども通院をしていたり、『頓服(とんぷく)程度に持っていなさいね』とお医者さんに言われて、いつも手元には(薬を)持ちながら…。
高校に入学をしまして、やはり今までの生活とはガラッと変わりますし、今まで不登校気味で、別室登校をしていたりとか、軽減していた生活から一気に、一般の子どもたちと同じようにというか普通に高校生活に入って、やはりストレスをたくさん溜め込んでしまったのか、またそこで一気に体調を崩すということが始まって、またお薬を飲む生活が始まりました。」
「体調がおかしくなったと一番最初に気づいたのは、学校で体が震え出した。学校の先生から、『すごく体が震えて止まらないんですけど』っていうの(知らせ)が、まず始まりですね。
入学して1か月ぐらい経って(息子の)体が震える。私も、今まで眠れないとかね、少し学校に行きにくい、不安感があるっていう、その程度のことしか(経験がなく)、ほんとに心の病気に対しての知識もなかったですし、初めて、体が震えるっていうのはどういうものなんだろうっていうことを経験して。で、学校の先生方もそういう経験がなかったので、嫌な授業から逃げるために体が震えるんだろうとか、私も分からないので、言葉かけも『みんな嫌でも学校頑張ってるんやから、頑張って学校行き』とか『せっかく入った高校だから』とか、親もまだ理解できていないところで、どんどんリストカットが始まったり、大量にお薬を飲んだりとか、ほんとに転がるように悪くなって…。
通院もしていたんですけど、お薬の管理も本人任せだったので、あとから聞けば、その頃は、もう薬を飲んでいても、通院もしていても、こんなことになったので、もう薬を飲みたくないみたいにして、飲んでいる振りをして捨てていた。『そういうことも悪く、病気を悪化させたのかな』というのは、あとから本人から聞いていますけど。」
「そういうことを半年ぐらいの間に経験して、最後は、病院の先生も、『親も医者からも、入院しなさいって言えば、やはり子どもさんの場合は見放されたという気持ちがすごく大きくなって、病気が悪化する場合があるので、本人が辛いから入院したいって言う時期まで待ちましょう』ということだったんですが、ほんとに、自分を傷つける行為がひどくなったので、最終の最終は、『あなたの命を守りたいから、治そうね』という言葉かけをきっかけに、本人も分かったということで、思春期専門の入院病棟で子ども達ばかり入院できる施設を選んでいただいて、入院3か月の経験をしました。」
「まだすべては親も聞くのも怖いし、子どもからぽろぽろとは言ってもらいますが、やはり、最初は辛くって早く帰りたくて、『なんでこんなところに入れられたんや』とか、毎日のように電話してきたりして、『帰りたい』という言葉を言っていましたね。
でも、少しずつ入院先の医師との信頼関係とか、自分がお薬をしっかり服用して気持ちが落ち着いてくることを感じられるようになった1か月後ぐらいからは、あまり言わなくなってきたので。まあ、その(病院の)中での様子は、一緒に病院の先生が卓球してくれたとか、今日は子ども達ばっかりなので、体育館でみんなでバスケットボールしたとかという、今のところ楽しい思い出と、初めて自分で洗濯をしたりとか、辛かった経験。何がっていうことより、ま、今、楽しかったことと、保護室にまったく1人で最初入院した何日間は入れられたのはすごく辛かったっていう話はしますね。」