「高校に入って、受験勉強をしていたんですけれども。音楽系の勉強をしていまして、ピアノを弾いたりとか、授業中に、まあ数学とか普通に勉強するんですけど、自然と涙が出てくるんです。どうしてか分からないけど涙が出てきて、どこに行っても涙が出てきて、『おかしいな』って思いながら毎日学校に行っていたんです。
ある日、力が出なくなってしまいまして、1週間ぐらい点滴を内科で受けました。そのときは精神の病とかは思っていなかったんですけども、当時から悪かったんだと思います。そのときはですね、勉強ばっかりやってたので…。そうですね、大学には無事行けました。」
「大学2年生ですね。もともとですね、私の友人が精神科にかかっていたんですけども、その人に『あなた、精神科に行ったほうがいいよ』って冗談ぽく言われてたんですよね。ただ、それは自分でもうすうす気づいてはいたんですけど、実際には、『まあ、まだ行かなくていいかあ』って…。やっぱり怖かったんですよね、精神科っていうところは。
で、ある日、ちょっといろいろなごたごたがあって、私がすごくパニックに陥ってしまって、大声を『ぎゃー』ってあげて、もうジタバタして、ほんとうに発狂したような感じになってしまったんですね。苦しくてたまらなくて、『これはもうだめだ』と思って、病院に行きました。(パニック状態は)その友人と一緒にいたときですね。日中です。」
「私に最初に精神科に行ったほうがいいよって言ってくれた人と同じ先生のところ、その人の口コミで『この先生は良いから』っていうことで行きました。
まず最初A病院に行ったんですけども。その先生がアルバイトでA病院に来てたんですね。で、もともと先生のいる病院に行ってください、ということになって、A病院からB病院に同じ先生ですけど変わりました。B病院には、信頼できる先生とたくさん長い時間を使って診察をしていただいたりとか、薬を出していただいたりとかしていました。そのあともいろいろなことがあって、入院もその病院でしました。」
「一番初めはですね、一応、診断書とかには“自律神経失調症”と書いてもらって、しばらく学校などを休んだんですけど、そのとき。その後についた病名が、“ボーダーライン・パーソナリティ・ディスオーダー(BPD)”で、その先生から別の先生に変わったときにその先生の初診で“統合失調症”というふうに診断を受けました。(BPD診断の)2年ぐらいあとだと思います。」
「ショックでしたね。母が統合失調症なので、『あ、やっぱり遺伝したのかな』って思いました。(病気の知識は?)いえ。母のことを認めたくない自分がいて、そうですね、『あの人とは違う』っていうふうに思いたかったんだと思うんですけども。薬も、『ああ、私、もうこれからそういう精神科の世界に入っちゃうんだな』って思いながら飲んでいました。」