「数え切れない。甘えだったと思います。人の気を引きたかった。助けてって言葉で言えなくて、行動に移して『助けて助けて』って、『私のことを見て』っていうふうに思っていた時期がかなり長くありました。
死にたいんですけど…、でも、例えば、大量服薬したときにですね、薬を選り分けているんです、私、そのときに。この薬は鉄剤だから、大量に飲まないようにしようって思って、ふり分けながら精神科の薬だけ飲んでいたんですね。で、自分で救急車を呼ぶんです。かなり昔ですけれど。ですとか、人前で、人がいるのを分かっているときにコートに火をつけたりとか…。まあ、燃えなかったんですけど。もう、めちゃくちゃだったなって思います。
あとは、薬を大量服薬したときに、血圧の上が40(mmHg)台ぐらいになったんですね。で両親が田舎から呼ばれまして、『もう今夜がやまですから』ということになったこともあったみたいです。それは東京です。
1回だけほんとうに死のうとしたことがあったんですけど。それは、毎日つらくて、海を眺めに行っていたんですね。海を眺めていると落ち着くから。である日、『ああ、もう堤防降りてみよう』って思って降りていって、体が(波に)さらわれた瞬間に、足がテトラポットにひっかっかって助かったんですね。で、そのときに一気に急に現実に戻って怖くなって、堤防かけあがって病院に電話をして、そこからが1年半の入院だったんですけど。」
1年半の入院の間に、私のテーマはずっと“死ぬことと生きること”なんですけど。その1年半の間に主治医の先生からもたたき込まれまして。絶対に死んではいけないということ、なぜ死んではいけないとか…、いろいろと1年半考えていましたので、その期間が過ぎたあとはもう絶対に(自殺は)しないなというふうに決意しています。」
「私は、自動思考みたいな感じで、考えが浮かんでくるんですけども、それがたぶん統合失調症の症状だと思うんですけど、それがいつも『死にたい』という言葉なんです。何かつらいことがあったり、疲れたりすると『ああ、死にたいな』『もう死にたいな』『もう生きていたくないな』と思ってしまうんですね。それを主治医の前で言ったら、『ボキャブラリーの貧困だよ』っていうふうに言われて、『死にたい』という言葉ですべてを終わらせて丸投げするんじゃなくて、なぜ、何がどのようにして、何かがあったから、今、こういう気持ちなんですということを、ちゃんと言葉で説明しなさいというふうに言われました。死にたいとかきつい、つらいという単語は口にしてはいけませんと言われて、それ以来ずっと、それは守るようにしています。
私としては、『死にたい』と言いたくてたまらなかった時期があったんですけど、それをぐっと飲み込んでその気持ちを一旦自分の中で整理をして、という作業を行っていくうちに、だいぶ変わってきたのかなって思います。」
「あとはカウンセリングを受けるようになったんですけど、その先生も、私の認知のゆがみを少しずつ一緒に治していってくれて。私は、自分の評価がすごく低いわけで、そこを上にというか、今までの病気になる前の自分に戻るように、私の考え方とか言動を少しずつ2人で治していくようにしていったかなと思います。
カウンセラーの先生は、今の私にとっては、すごく大事な人です。最初は、その先生が、週1しか病院にいないんですけど、最初は1週間に1遍でした。そのときはもうずっと私は泣いていて…。先生が(昔を)振り返るんですけど、『この子はカウンセリングは向いていないな』と思うぐらい、言葉が出てこなかったっていうふうに言われました。それ(カウンセリング)が2週間に1遍になったときに、私はやっぱり泣いてしまって。でも、なぜ2週間に1遍になったのが嫌かということを説明できなかったんですね、涙が出るだけで。先生が『どうしたの』って聞いても、私は『いやなんでもないです』って言いながら泣いていたんですね。でそれから少しずつ診察、カウンセリング、デイケアを続けて…。しばらくしたら月に1遍のカウンセリングになりました。もう3年ぐらいカウンセリングをしてもらっています。」