「母と同じ病院で違う主治医の先生に診てもらいました。実家に戻って、新しい病院に、母と同じ病院ですけど、通い出して。最初は、東京でアルバイトをしたものですから、『じゃあ、田舎でも働こう』と思ってコールセンターを受けて受かりました。でもコールセンターというのは結構きつい仕事で、やっぱり会社のトイレで泣いたりとかしていて、で2か月で辞めてしまいました。そのときに、『自分はもう役に立たないのかなって、世間には。ほんとにいてもいいのかな』と思って、自殺未遂とかしてしまいまして、そこから1年半ぐらい入院していました。(それは田舎に)戻ってからですか? 4か月か5か月ぐらいだったと思います。」
「そのときはですね、主治医の診察は週に1回だけで、あとは看護師さんがずっとケアしてくれたんですけど…。私はいつも病室にこもって、カーテンを引いて、自分で『面会謝絶』というプリントを貼って、誰ともしゃべらないし、ごはんも食べたくないし、自分は他の人とコミュニケーションを取れる資格がないんだっていうふうに思って、人を好きになってはいけないとか、こんなすごい人と話してはいけないとか、今、考えればちょっと滑稽なこともあるんですけど、ほんとに自分に自信がなくて、ああ、最低だなって、何のために生きているんだろうなあって思って、ずっと死にたい気持ちが絶えずありましたね。」
「ベッドにずっと寝ていたんですけれども、あるときある看護師さんから『あなた、院内のデイケアに通ってみない?』っていうふうに言われて。最初、すごく気乗りがしなかったんですけども、ま、取りあえず行ってみなさいと言われて行ってみて…。そしたら、デイケアにいるときは自分の苦しみをいつの間にか忘れているんですね。デイケアのほんとに2時間とか1時間なんですけど、その時間帯だけは苦しみが少し減ったような気がしました。それで私は、ずっとベッドに張りついて寝てグルグル考えるよりも何かをしていたほうが気が紛れるし、楽だということに気づいて、そこからちょっと退院への方向が見えてきた感じでした。
(デイケアで)友人が結構できまして。それこそ病気の人とは話したくないとか思っていたときもあったんですけど、やっぱり同じ病気をもつピアの仲間ということとか、あとはやっぱり、私、音楽をやっていたので、他にも音楽をやっている人がいて、一緒にコンサートとかできてうれしかったですね。クリスマスコンサートですけど。看護大学があって、そこの吹奏楽部の人たちと一緒に演奏させていただいて、私は歌ったりとか…。あとは、デイケア行事ではピアノを弾いたりしました。」
ピア:ピア(peer)とは対等や仲間という意味を示す。
「退院後も、(症状は)ひどかったですね。周りは、多くの人は『一生入院しているんだな』って思っていたみたいでしたし、私も一生入院しているつもりでした。ただ、やっぱりずっと病院にいて、めそめそして引きこもってぜんぜん良くならなかったので、嫌だったんですけど、思い切って退院をして、それから毎日ほんとにデイケアに通うようになりました。そのデイケアでいろんなことに取り組む間にやっぱり気が紛れるなって思って。で、仲間もできましたし、少しずつ笑えるようになったりとか、人としゃべる権利はあるんだなって思ったりとか、そういうふうに変わっていったかなと思います。
挫折が大きかったと思います。やっぱり病気にかかったということを認めきれないことや、すごく一生懸命勉強して入った大学を途中で辞めなければいけなかったりとか、東京が大好きだったのに田舎に帰らなければいけなかったりとか、仕事ができないということやいろんなことで自信をなくしてしまいました。もう人と話す権利はない、笑う権利はないっていうふうに思い込んでいました。
デイケアの職員さんもすごく私のことを考えてくれて、私がつらいときは、ちょっと草むしりとか散歩に連れて行ってくれたこともありましたし…。そういうふうにして気分転換したりですとか、やっぱりあとは仲間ですね。仲間とほんとに思っていることを言うという練習ができたのかなって思います。
今やっている治療は、月に1回、先生の診察がありまして、同じ日にカウンセラーのカウンセリングを受けています。あとは薬物療法と、(地域生活)支援センターの職員さんにいつも話を聞いてもらっています。」