統合失調症と向き合う

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近島勇さん
近島 勇さん
(ちかしま いさむ)
1945年生まれ、67歳(収録時)。会社員として働いていた35歳頃に発症。家族の希望で入院治療の体験はない。症状がうまくコントロールできないことから仕事を辞め、主夫として家族を支えてきた。作業所と出会うことで同病を有する他者と交流し、病識を得たという。現在は、ヘルパーや電話相談など様々なピア活動を行っている。妻、娘との3人暮らし(息子は結婚し独立)。
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5職場復帰
Q.精神科を受診したあと、仕事はどうされましたか

「やっぱり職場復帰…、なん週もそんなに休まれないでしょ? それで職場復帰するんですよね。職場復帰する時は先生も、いわゆる昼の薬を無しにして、朝と夕の薬で(処方して)くれました。

でも6週間で本当に統合失調症が治るわけがないんですよね。だから、今日まで幻聴は聞こえている。それで、やっぱり疲れると、余計に(幻聴が)聞こえやすくなる。そういう中で、仕事をしていたんです。まぁ幸いにも、今までずっとやっていた仕事だから慣れている仕事ということと、あまり人と話しをしないで(済む)。大きなライトテーブルみたいな(ものが)あるんですね。そこでする仕事なのでね。聞こえてくる幻聴に惑わされずに聞かずに、仕事に集中しないとあかんと思って仕事をしてきましたね。その時、本当にしんどい時というのは、仕事に来ているのか拷問を受けに来ているのか分からないというのか、そういう状態でしたね。」

Q.仕事はこなせていましたか

「『(文字を)上と下と入れ替えなさい』という簡単な、上と下とを入れ替えたらいいだけのこともできなくてね。カッターナイフをもって、震えちゃって、できなくなるんです。それで、その時にやっぱり、私、まだ病気の真っ只中だったんですよね。『版下を作ったりする実際の仕事は、私の仕事ではない。今聞こえてきたりしている幻聴を言い負かして、やっつけて、最高責任者に到達して、最高責任者と一騎打ちか知らないけど、やり合って、言える秘密事項、こういう秘密的な結社とか事項を公表するのが私の仕事だ』と、またその時にバァーと思ってしまうんですよ。

それで、仕事もしないで大きなライトテーブルの前にこんな感じで座って、今度はもぅ仕事のほうはそっちのけで、幻聴のほうと言い合いっこをしているんですよね。幻聴と言い合いっこをするから『ニタニター』っと笑ったり、怒った顔をしたり…。それで最初、部長が来るんですよ。部長が来て、『近島君おかしいから、もぅ今日は帰りー』とか言うんですよね。『いやっ、僕は元気です』とか言って帰らないんです。そしたら社長が来るでしょ? 社長が来ても、まだ帰らないんですよね。もぅ思わず立ってね、『僕はこの通り元気なんです』と言って帰らないんですね。

そうこうしているうちに、会社は妻の職場に電話を入れる。結婚当初から共働きだったんですよ。妻は小学校の先生をしていました。で、妻が呼ばれて、『お父さん、帰ろう』と言うんですね。すると、『ふぅーん』と、妻の言うことは聞いて帰る。それで翌日、まだ1人では病院に行く力がないから、妻に連れられて病院に行って、それからまた、短い時で2週間、長い時で6週間、自宅療養。で、その後同じ会社に9年間勤めました。6回か7回ぐらい、自宅療養しましたね。それで、自宅療養になる前のパターンはいつも決まっているんです。仕事もしないで、幻聴を相手にバァーとね(やりあう)。」

Q.自宅療養すると症状は良くなったのでしょうか

「そうですね。ちょっと睡眠が取れますからね。薬…、やっぱりちゃんと飲んでいる時というのは睡眠も取れて、体はずっと横にしているし、休養も取っている。だから、神経がすり減るところまで、極限まで行っていたのが、休養が取れた、そういう感じだと思います。自宅療養の時は(薬は)朝・昼・晩飲んでいました。」

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