「私、当事者講師の派遣事業とかで、講師として行ったりもするのです。それはやっぱり、統合失調症になっていても、『回復は可能だよ』というか、『回復していけるんだよ』というかね。ただ『焦らないで、気長にやっていけばいい』というか、そういう元気な姿を見せることができる。それで、『あっ、自分も元気になれるかなぁ』と、ちょっとでも思ってもらえればいいかなと思っていますね。
それと、やっぱり、『自分1人だけが病気なんじゃないよ、いっぱい仲間がいるんだよ』と。仲間も『しんどい』、『あぁ、苦しい』ということがあるけれども、『生きていっているよ』というようなものが伝わってくれればなと思いますね。
病院とか(では)、特にそうなりやすいのですけれど、(患者は)支援される側だけでしょ? 要するに、面倒をみてもらう側だけ。そうではなくて、自分も面倒をみるというのは変な言い方だけれども、自分も支援できるんだと。たしかに誰かの役に立っているんだと思えることのほうが、より元気になっていきますね。いわゆるピアサポートと言います。今、だんだんこぅ言われてきているけども、サポートする側もサポートすることで救われるというか、自分が役に立っているんだなぁということを思わせてくれて、『あぁ、生きていて本当にいいんだなぁ』と思わせて、元気になってくるということがありますね。
必ずしもお金を貰ってするだけがサポートではなくて、本当に、作業所とかに行っても『おはよう』とか、お互いの顔を見合って『ニコッ』とするとか、それ自身がもぅ本当にサポートになったり勇気づけられたり、元気になっていく素(もと)になったりしますね。」
「(自分の)家族に対しては、感謝していますね。
私の(場合は)、先程もちょっと言ったと思うのですけれども、過干渉にならなかったんですね、私の妻にしろ、娘にしろ。どちらかというとほったらかされすぎるぐらい。それで実際にピンチになった時は助けるという関わり方をしてくれたので良かったと思いますね。私も自分でできること、できる時はやっていこうというスタンスが取れていたので、良かったと思います。
電話相談に、親からもかかってくることがあるんです。その親とかになると、例えば、『這えば立て立てば歩めの親心』とか言うよね。もうちょっともうちょっと良くならないかと。親が焦っちゃうんですよね。だから親も、やっぱり焦らないで、この病気はほんとに何年かかるか分からないこともあるような病気だしね。本当に焦らないで、かかわり方も、命令とか、上からの押しつけにならないように…。
やっぱり、子どもは子どもで、素直に自分が生きたい人生というのはあるわけだし、生きたいように生きてもらうというか。密着型ではなくて、ちょっと距離を置いたほうが、かえっていいと思うんですね。」
「先程とちょっと重複するかもしれないけれども、やっぱり多剤、量を多く、いくつもの薬を服用して、どれが効いていて、どれがどの副作用か分からなくなっているような人もいるんですよ、中にね。そういうことではなくて、むしろ単剤でいって、この薬だったらこんな副作用が出ているとか、それで他の薬に変えてみようかとか、そういうお医者さんのほうがいいかなと思いますね。
これからは病院に入院する形態よりもむしろ早めに退院して、地域のクリニックなりと繋がって、むしろ仲間と。中には、人づき合いがどうしてもできないという人もいますけれども、なるべくなら仲間と繋がって、仲間の中でいろんな情報を得ていくというか…。そういう作業所などに行くと、逆に、私もそうだったんです。薬を飲まなくて悪化しちゃってとか…、それが反面教師になるんですね。あぁ、やっぱり飲んでいないといけないなぁとか、そうなったりすると思いますね。
これは病院関係ですけどね。病院、先程言った、ハード面では良くなっているんですよね。空調もいいし、壁も綺麗だし。でもまだまだできてないところもあってね。例えば、カーテンの仕切りがない病室とか、、診察室になると、診察室そのものを使わないで、詰所を使っているところもあったりするんですよね。それは本当に極端に悪いほうの例で、そういうところはもうほとんど、少なくなっているのですけれどね。
それから、トイレが意外と匂いがするようなところもまだ結構あったりしますよね。ちょっとしたことだけれども、そういうところをある意味疎か(おろそか)にしているところは、患者も疎かにされているのかなぁとか、そういうイメージを私共もちやすいですね。
「やっぱりなんらかの意味で、統合失調症とかに対する理解とか偏見を無くしていく1つの力にはたぶんなり得るかなと思います。こうして元気な姿を映像で見ていただくことで。それと、まぁ、言ってみれば良いことをしてね、これ程良いことはないなと思います。」