「退院できるというか、そこを飛び出せることがうれしかったですね、はっきり言って。それからですけども、もう3回も職場を辞めて、最初は団体職員で、3回目が郵便局ですよね。父親は、『そんな安定した職場を飛び出すような奴は根性がない、根性なしだ』とののしるようになりましたね。で、母親にも、『お前が甘やかすからこんなになったんだ』と辛く当たるようになって、それがとても辛かったです。
実は(仕事は)いろいろ探していて、その時、職業訓練校で、経理に受かったんですね、経理の専門学校の講習ですけども。あともう1つ、看護学校を(病気を)非開示で受けまして、その看護学校の紹介で病院を紹介されたんです。それが、くしくも精神科病院だったのですけど、その時に人生の岐路に立たされまして…。
ある日、父親が(私に)、病院からもらっていた薬を飲めと渡したんですけど、私はその時、(それが)旧薬で、古い薬なものですから、飲めば飲むほどろれつが回らなくなったりする、内面的になんか胸がムカムカする、それが辛かったものですから、『もう(薬を)飲むのは嫌だ、勘弁してくれ』と言ったんですね。そしたら、父が、その時キレまして、『お前のような者は家を出ていけ』と怒鳴ったんですけど、こっちも売り言葉に買い言葉で、『ああ、出てってやるよ』と言ったので、そこで、父と一時決裂をしたんです。その病院は寮があったので、そこで住み込みで働くことができたんです。ですから、看護学校に通いながら、そこ(寮)に住み込みで働いたのですけれども、自分でちょっと挫折してしまいました。」
「1年ぐらいですね、やっぱり服薬が辛いので、薬を一切断ったんですね。1年ぐらい経った頃から、幻覚、妄想、幻聴が聞こえてきて、ある日突然、職場である精神科病院の中で、自分では内容は分からないのですけど、今憶えていないのですけど、叫んだんです。憶えているのは、その叫んだ時にいた看護師さんが恐怖の顔をして、『きゃあ〜』と逃げていくのを憶えているだけで、それが印象的でした。病院側としてはかなりショッキングな出来事だったので、たいへんご迷惑をかけたと反省しております。」